青と赤

 僕が小学生の頃の夏は、気温が33度を超えると皆、「猛暑だ!」と大騒ぎしていたものだ。

 太陽光を湛え赤々としたタイルに、瑞々しい素足たちが放り出されると、方々で悲鳴のような声が上がる。足の裏が焦げてしまいやしないかと思うほどの、熱と言うより痛みに近いそれが、くるぶしの方までじんわりと上がってくるのを感じる。だがそれはやがて治まり、僕のぴったり足の下だけが、僕にとっての唯一の居場所みたいに輻射熱から遮られている。だが石を焼き付けるのを止めた熱射は、代わりに僕自身の肌細胞を煉瓦みたいに焼き上げようとしている。汗が滲む。鬱蒼とした涼しげな木陰が遠くからこちらを覗いている。
 俄かに、ねばつくような、塩素を含んだ生臭くてむわっとした熱気が鼻をさわり、どこから流れてきたのかも知れない、どろっとした感触の生ぬるい水が足元に伝ってきた。不快。──不快で、生々しい。──生々しい せいの、温度、臭い、肉体。あらゆるものが押し寄せてくるようで、僕はプールが苦手だ。

 僕は水泳が得意な方だった。25mのプールであれば息継ぎなしで泳ぎ切れたし、クラスの誰よりも速く、そして長く潜る事が出来た。プールは嫌いじゃない。僕は残酷だ。プールが苦手な子がいるなんて信じられない。
 僕は いとまさえあれば、プールの底まで潜っていって、そこでくるりと翻り、雲一つない青空と、揺動する水面と、そのあいだに浮かぶ人々を、ぜんぶ見下ろすのが好きだった。そこからの景色は非現実的で、水面と青空は合一して優雅に揺らめいている。どこまでもひろがる群青色に輝く世界の真ん中には、ほんとうの自由みたいなものがぽっかり浮かんでいるような気がして、僕の心は融け広がって行くようだった。
 僕はいつまでもこの光景に溶け込んでいたかったけれど、脚を動かし続けていなければ、身体が自然と浮いてきてしまうのが煩わしい。息も刻々と苦しくなってくる。背中に擦れるプールの底もザラザラしていてあまり心地の良いものではないし、鼻をつまむ指にも力を抜けば、ツーンと脳天を貫く水に涙が止まらなくなるだろう。ここは本来、にんげんの居場所ではないのだと、いつも思い知らされてがっかりする。そんないつもの失意に従い脚を止め、身体が浮かび上がり始めると、最近読んだ国語の教科書の内容が頭に浮かんだ。”クラムボン”とは僕の事だ。いまにも鼻先に触れそうな水面を前にそう思った。

 プールサイドの庇で陰になっているところに、先に上がっていた女子生徒の、水着から流れ濡つ生ぬるい水が股を伝って、足元にどろっと溜まっているのが見えた。こっちが、現実の側だと思い知らされる。不快の側。僕は、不快な空気を肺一杯に吸い込み、もはや揺蕩 たゆたう事を知らない陽射しに肩を灼かれながら、青いプールから上がろうとする。──重い。いままで忘かけていた、身体のほんとうの重さを思い出して、僕はなお動揺する。このうんざりする重さは、生の重さ。こんな重たさを抱えて、これからどうしていけばよいのだろう。僕は漠然とした不安を、いつまでも拭いきれない水気のように、体の芯から全身に感じていた。

 今や気温35度では誰も驚かなくなった。アスファルトはもはや素手では触れないほどの熱さなのに、もう誰も悲鳴を上げないし、僕はエアコンの効いた部屋に閉じこもっていて、かつてのように泳ぐことも、もはやできない。比喩なしに、エアコン無しでは生きられない世界に、にんげんの居場所は本当にあるのだろうか。夏はこれからも、もっと暑くなってゆくのだろう。


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