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"幸福である"とは、どういう事か?
私は、人間というのは、皆それぞれの価値観を持ちながら、幸福になる事を目指す生き物であると考えております。
それ故、国家は、国民全員が幸福になれる社会を作る必要があり、そういった政策を実行する政府である事こそが望まれると思う訳です。
なので、本noteにおいては、私が個人的に考える幸福の定義について述べ、その後、日本国民の幸福度を高める政策についても、述べさせていただきたいと思います。
1.幸福とは、自由である事である
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まず、私は、"幸福"とは、自由である事を指すと思っております。
例えば、幸福であると感じる指標には、下図のように、健康、人間関係、自己成長、仕事、経済、環境、趣味、余暇、貢献の8つの要素があるとされているのですが、それで言えば、その各要素で、自由度がある事が、幸福である事の条件であると考えているという事です。
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ですので、以後、前述の主張が成り立つと考える理由をご説明し、更に、今後の日本社会において、国民全体の幸福度を高めるにはどうすれば良いのか?という事を述べていこうと思います。
2.幸福の三大通説
①快楽説
まず、快楽説というのは、自己の快楽を追求して苦痛を避けることが善であり、それが人生究極の目的あるいは道徳の原理であるとする考えに基づき、言わば、"快楽こそが、幸福である"という説になります。
②欲求実現説
次に、欲求実現説とは、本人が望むこと(欲求)が実現される事が幸福であり、それが実現できなかったり、避けたいことが起こったりすることは不幸であるという説になります。
③客観的リスト説
そして、最後の客観的リスト説ですが、①と②が、主観的であり、個々個人の幸福度についての客観的な評価を行うという要請から出来た説であるとされており、例えば、その指標として、健康、教育、栄養等を考え、総合的に、それが満たされているかという事を考える
そして、各説に、私の主張を当てはめるならば、快楽を追求する自由があり、欲求実現をする自由があり、各客観的な指標を満たす自由があるなら、より幸福であるという事に成ります。
3.格差社会においては、皆が不幸になる
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一見、格差社会であっても、"富裕層なら、幸福な生活を送れる"のではないかと思う方々はいらっしゃると思いますが、私は、格差社会においては、富裕層も、自由が阻まれ、不幸になってしまうと思っております。
例えば、今の日本社会においては、所謂"勝ち組"であるとされる人々は、大別して、資産家と大企業の正社員が挙げられると思っております。
まず、前者の資産家で言えば、資産はあるものの、今の日本においては、社会保障制度が手薄く、一度資産を失ったら、再起を図る事が難しい訳ですから、散財する自由は無く、ただただ貯蓄をする他無い訳です。
だから、"貯蓄より、投資の方がメリットが多い"と解っていても、殆どの日本人は、貯蓄を行い続けるんです。
そして、後者の大企業正社員に関して言えば、そもそも、大企業の正社員になるまでには、一般的に、一生懸命勉強して、良い大学に入る必要があり、その時点で、自由がある程度制約されてしまっていると言えます。
更に、大企業に入社した後も、その地位を守り続けるために、長時間労働やサービス残業という過度な要求を受け続ける羽目になり、その分自由も制約されてしまう訳です。
なので、社会保障というのは、当然、"社会的弱者のため"のものであるとされる訳ですが、強者にとっても、何時か自身が無一文になった時のためのセーフティネットとして存在する事で、強者自身にも、自由を与える効果があると考えられる訳です。
4.具体策
具体策を単純に言えば、社会保障をもっと手厚くするという事に成ります。
しかし、現在の日本においては、年金・医療・介護というオーソドックスな社会保障ばかり充実しているものの、他の分野に関する社会保障は全く足りていないと言わざるを得ないと思います。
ですから、そういったオーソドックスな社会保障ではなく、"国民の選択肢を増やすような社会保障"を提供すれば良いのではないかと思っております。
例えば、前章の例で言えば、資産家が、無一文になっても、一からやり直せる社会制度や文化を作ったり、大企業の正社員が、容易に転職できるように、非正規労働者の処遇を改善する事が、具体例として挙げられるでしょう。
まとめ.
今の日本社会では、確かに例外はあるものの、世間一般的に、"勝ち組"だと称される人々は、その対価として、自由を失っているのではないかと感じております。
例えば、芸能人や政治家等の各著名人は、年がら年中スキャンダルを狙う記者に付け狙われ、まるで、天皇陛下であるように、徳の高い存在である事を間接的に強要されている訳です。
そして、一部の方に限って言えば、どん底に落ちた後、無一文となった状態においても、そういった事が続いてしまう事もある訳です。
なので、そんな状態では、いくら、世間から、"勝ち組である"と思われていたとしても、自分自身が、"幸福である"と思えるような生活を、到底送れる訳がありません。
ですから、あらゆる国民に、幅広い選択肢を与える政治が、必要とされる訳です。
近代哲学者のジョン・ロールズは、社会制度を作る時は、無知のヴェール(自分や相手の性別や職業、家族の有無や貯金額など、あらゆる情報が分からない状態)を被ったと仮定して作るべきという主張を行っております。
一昔前は、血統が良ければ、一生涯安泰であった時代もある訳ですが、現代においては、何時、誰に、何が起こるかも全く定まっておらず、明日無一文になる可能性は、誰にでもあり得る訳です。
なので、そういった時代であるからこそ、ジョン・ロールズの主張の正当性がより高まると言えると考えております。
実際、幸福度が高いとされる北欧3ヵ国(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー)は、社会保障が充実しておりますし、スイスであれば、直接民主主義制が発達しており、そういった個々の自由度を高める社会制度が、国民の幸福度を高めていると考えられる訳です。
なので、そういった国々を参考に、日本も、社会保障をもっと充実させたり、政治的な自由をもっと国民に認める事をすべきであると考えております。
参考文献.
・幸福とは何か ──思考実験で学ぶ倫理学入門 (ちくまプリマー新書)
・世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと
・幸福の測定―ウェルビーイングを理解する
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