ACを自覚するまで
こんにちは。ACのあおです。
ここでは、私のACとしての軌跡を少しお伝えしたいと思います。
私は昨年、自分自身ACを認めました。30歳のときです。アダルトチルドレン(AC)は自分で設定できるアイデンティティです。ですから、自分がアダルトチルドレンであると認めさえすれば、アダルトチルドレンと言うことができます。このことを知らない人が多いと思います。私も知りませんでした。これは、伝統3にあります。私もアダルトチルドレン というのは、インナーチャイルドとかそういった怪しい感じのスピリチュアルと結びついていて、やたらと幸せとかキラキラしたイメージを追い求め、甘えた、所謂お気楽で頭がそんなに良くないお花畑な人々が語る概念だと思っていました。(酷い)
私はそんなスピリチュアルには絶対に近寄らないと思っていましたし、そんな知性が低そうな概念は受け入れたくないと思っていました。しかし、一方で強烈にそう行ったものを求めていました。それは影で一人で求めていました。
また、私の家族が機能不全家族だというのも受け入れたくない事実でした。
私は約10年間ほどメンタルクリニックなどへ通っていましたが、そこでは具体的な診断名が降ったことがありませんでした。私自身の感覚的には、うつ病や発達障害や境界性人格障害といったものが当てはまるのではないかと思っていましたが、特にこれといった診断名が降ったことはありませんでした。
約30年間ずっと否認をしていました。「私の家族が機能不全であるはずがない」と思っていましたし、それなりの経歴は持っているつもりでした。しかし、私はいつも同じことを繰り返しており心は全く平安ではありませんでした。
いよいよ、どうにもならなくなって、私は一つの信仰を受け入れました。それによって落ち着いた面もありましたが、今度はその組織の教えに極端にのめり込むようになり、バランスを失っていきました。その組織は決してカルトではありませんし、そこで私は本当に多くの恵みを得る事が出来ています。しかし、強烈にそれに対する信心を持っていたのです。一方で、その組織を痛烈に批判する心も持っていました。ずっと、人を裁いていました。自分が感じたことや考えたことを他の人と分かち合うのがとても怖いと思っていました。自分の感情を外に出すことをとても恐れていました。批判を恐れていたからです。もう不安なことはないはずなのに、私はずっと不安なままでした。仕事も長続きしませんでした。自分ではない、「いいひと」になろうとしていました。
信仰を持ったことで恋人もできましたが、相変わらず感情を爆発させてしまって、彼や家族をずっと困らせていました。通っていなかった、精神科へと再度通うようになりました。そこで、先生からアダルトチルドレンに関する書籍を借り、その本を読むようになって1年後にどうにもならなくなってACAに繋がりました。
信仰を持ったときも、私は現実に打ちのめされていました。この国では、どうにもならなくなった状態で神の概念にすがることがあるように思いますが、それは「弱い人」がすることだという誤った認識を私は持ち続けていたので、自分が信仰を受け入れた事も若干屈辱に感じていました。また、その信仰がこの国で浸透しないのは、その組織にいる人たちの方法がいけないからだとか、この国の人たちが頭でっかちだからだとか思っていました。ずっと人を裁き続けながら生きてきました。そんな極端な考えを持ち続けて生きていくのはとてもしんどかったです。そのため、私はいろいろなことに打ちのめされました。思い通りに生きていけなくなりました。そして、12ステップのミーティングに繋がりました。
最初はここにいる事が恥ずかしいと思っていました。しかし、分かち合いをしていくうちに、ここにいられる事が大きな恵みだと感じられるようになりました。分かち合いをし始めてから、とても落ち着いたと周りからは言われます。
しかし、私は今でも、自分のACの問題を否認する傾向があります。何故ならば、私は世間が思うような「虐待」は決して受けていないからです。また、「毒親」と呼べるほどの親であったかというとそうでもありません。私がACならば、おそらく日本中がACの人だらけになると感じてしまいます。
でも、他の人がACであるかどうかは、私にはあまり関係のないことです。ACは、自分自身で認めることだからです。私は私自身がACであることを認めます。そうであれば、それでいいのです。周りや親などからも、「気の持ちよう」など言われることもよくありますが、「気を持たせよう」と思ってもできないのです。何故ならば、依存症者と同じで、もうそのように脳がその特徴を獲得してしまったからなのです。その特徴は一生消えてなくなることはありません。あるのは回復だけです。
家族に関してはまた紹介したいと考えています。
読んでくださってありがとうございました。神様の祝福と平安が皆さんと共にありますように。