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魂を削って作品を作る・後編

画像生成AIの登場で、イラストレーター志望だった相棒は、すっかり未来を悲観するようになってしまった。

相棒が尊敬するプロのイラストレーターの作品が、とうとう画像生成AIに学習されたらしい。ネットに模造品が出回り始めたのだ。
そのアーティストが、長い年月と努力の末に生み出した、特有の美しい画風なのに、簡単に学習されて量産されてしまう。
こんなことが起きていると、のびのびと創作することができず、不安でいっぱいになってしまうものだろう。

それなのに、SNSでは理解を得られない。
「AIなんかに負けるのは、努力不足だ」
そんな言葉を、相棒は浴びせられたことがあるそうだ。
私がかける慰めの言葉も、この誹謗と大差なかった。相棒の心にはまったく響かなかったのだから。
誹謗する人も、そして私も、相棒の悩み事をよく理解していないためだろう。
私は万策尽きて、思い悩む相棒を、拱手傍観するしかできなかった。

そんなある日のことだった。
私は何気なく、YouTubeで北欧の雑貨の動画を眺めていた。
丁寧に絵付けされたお皿。ふくよかな動物たちの置物。木の皮で丁寧に編まれた、手つきのカゴ。
北欧の豊かな自然の中で暮らす人々の美しさが、ありのままに写し取られた雑貨たちが、次々と紹介されていく。
まさしく心が洗われるようだった。

そういえば相棒も、アクセサリーに限っては、量産品ではなく、わざわざ一点ものを買うことがある。デザインや色など、何一つ同じものはない品を。

本当は相棒も、こういう丁寧な物の方が好きなのかもしれない。
ワンクリックでイラストを量産するよりも、じっくり時間をかけて、一点ものを描きたいのかもしれない。

私もそれまでは、駄作でしかないライトノベルを書いて、文学賞にすがりつくように応募していた。
その考えから成長がない、即物的な創作者の私を見ていて、もし一点ものをじっくり作りたい相棒が、葛藤しているのだとしたら……?

私は、相棒にすぐさま連絡した。
私も、一点ものを作ろうと思う。
かつて魂を削って作った作品に、またトライしてみよう。
何冊もの資料を渉猟して書いた、一筆入魂の過去作に次ぐものを。

テクノロジーの寵児とも言える相棒が、画像生成AIという技術を憎まずに済むようになるなら、私は変わろう。
私が、変わろう。
私を見ることで、相棒の葛藤が晴れるのなら――

その日を境に、沈み込んでいた相棒は、しだいに復調していった。
身体に現れていたストレスの症状も、徐々に快方へ向かった。
そして、大型書店に赴き、ずっと欲しかった絵画技法の分厚い本を、5冊ほど買って、ほくほくと抱えて帰った。

人間とAIの共生は、遅かれ早かれ大きな課題として、誰にとっても立ちはだかる可能性がある。
最近では、AIも小説を書くようになってきた。もしかしたら私も、そのうち物語を書くことから、完全に撤退することになるかもしれない。

この文章が、私の創作者としての遺書になるのだとしても。
魂を削って作品を作る決意を、ここに書き残しておく。


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