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「衝突被害軽減ブレーキ」 #どこ

カウンセリングを受け、山へ行き、これまでの自分を振り返ってみた。反省し客観的に省みてみた。わたしは内省するのが、好きだ。

1.放課後等デイサービスでのアルバイト

結論から「頑張りすぎた」。子どもたちを他人事と思えなかった。ここでは楽しく安全に過ごして欲しい。と、怪我や事故に注意し神経をすり減らし、楽しんで活動できるよう全力で遊ぶことに勤しんだ。アルバイトではあったけれど、積極的に休みの日には講習会に出向き勉強した。バイトも講習会もない日はひたすら寝て過ごしていた。自分のケアをする余裕やゆとりは作れなかった。

月に何度も高熱を出した。感染症流行前だったので、体調不良でも出勤できた。バイト終わり朦朧とフラフラしながら自転車を押し、近くの内科へ寄って帰宅。泥のように眠った。そして翌朝またバイトへ行く。

そろそろやばいと思った。ここでようやく気がつけた。こんな状態ではわたしにも、子どもたちにとっても、周りの職員さんにとってもよくない。今のわたしは人様を支援している場合じゃない。辞めようと決め、伝えた。いつでも戻ってきて。と言ってくれたのが嬉しかった。

(自分は高校中退で大した資格も経験もない。体力や能力もない。心療内科に受診している病人で社会不適合者なのに。と劣等感でいっぱいだったので、嬉しかった。受診している事はオープンにしていなかったが、児発管の方は経験豊富で障害や福祉の分野に詳しかった。なんとなく感じとっていてくれたのかもしれない。)


放デイで学びながら自分の発達障害の可能性を感じていた。当時の主治医は傾向は見られるかもしれないが検査は必要ないと、いう判断だった。長年通っており信頼はしていたが、セカンドオピニオンとして少し遠い他の病院を受診した。すぐに検査を受けられる機関の紹介状を書いてくれた。障害年金の制度なども教えてくれた。そこからは検査結果をもとにあれよあれよと「自閉スペクトラム症」と診断がつき薬も変わり少し日常が安定した。具体的な解決案を提示し行動してくれた、新しい主治医へ転医を決めた。そしてしばらく休もう。そう思った。


2.姉が甥っ子を産んでわたしを叔母にしてくれた

そんなタイミングで姉が出産した。ワンオペで、はじめての育児をしている様子を見て助けてあげなくては。と躍起になった。バリバリ体力があるわけじゃない。放デイで少しバイトした経験があっただけ。でも保護者の方の苦労や大変さ、なんなら悲惨さも見ていたから躍起になった。里帰り出産し、自宅に戻った姉のところへ毎日、時には泊まり込みで参戦した。義兄が帰宅するとバトンタッチし自転車で自宅に戻った。湯船につかり疲労困憊と感じた。あれ?なんのためにこんなに頑張ってる?となった。

アルバイトすら続かない…と、劣等感を深めた自分にも役立てる場所がある!という喜びがあった。「ありがとう、助かるわ〜」と、姉に言われるのが嬉しかった。凄く良い行いをしてる気分に浸れた。でも待て待て。何故アルバイトを辞めたのか?休むためだったはずだ。姉の人生に入り込み、自分の心許なさを解消しようとしていた。そう気づき、姉に連絡した。「もう今みたいに行くの無理。」と送ったら「わかった!来たい時に来たらいいよ!」と返ってきた。

へなへなへな〜とチカラが抜け、涙が溢れた。以前もそうだった。誰にも極限になるまでやれなど頼まれていないのだ。強気で弱さを見せない典型的な長女気質な姉を心配し、自分が勝手にやっていた事に気がついた。

後に、この時の話をしたら姉は「正直、無意識にヘルプを出していた。それをあんたは感じたんやと思う。善意に甘えた。」と言っていた。「わたしは必要とされたかったから、甘えてくれて嬉しかった面があった。」と伝えた。(美しき姉妹愛)



さてはて、何故わたしはこんなに「頑張りまくる」のか。

以前書いた「人を助ける事で自分が救われい人」とは、わたし自身の事だったのだ。

前述にもあるが「劣等感」も関係ある。ダメ人間なんだからその分「頑張らないと」いう思いが根底にある。

あとは特性の「過集中」「一極集中」な面も関係あるかもしれない。目的方向へ一直線。アクセルベタ踏み。衝突事故が起きて廃車になるまで止まらない。止まれない。

「劣等感」と「過集中」この2つが掛け合わさってひたすら頑張る子ちゃんがムクムク生誕。

正直こういう自分がそこまで嫌いじゃないという気持ちもある。

高校を留年し社会に適応できなかった事で自信喪失し劣等感を持った。かわりに感受性の幅が広がり完璧ではないものの良さを見出せるようになった。

そして15歳という成長過程という事もあったのだろうが、それまではふわふわマイワールドで生きていた。自分さえ良ければ人の事なんてどうでもよかった。(今だって自分がいちばんかわいい。)

ブレーキ不良なところは「使い方」という風に今は考えている。一つの物事に対してとことん知識を深めたり熟考したり自分と向き合ったりするのは気持ちがいい。脳みそが喜んでいる感じがして気持ちがいい。

過度に否定的に捉えていない。劣等感からくる「頑張り過ぎ」ブレーキ不良による「頑張り過ぎ」これらとうまく付き合いたい。

まずは「頑張り過ぎ」てもいい。その分「切り替え」て「緩める」スキルを習得するのだ。

優先順位の一番上に「緩める」を加えられるようになったら、わたしはわたしから助かる気がしている。