存在
自己の存在。
それは自分でどう意義付けるものなのか。
はたまた関わる人々がそれを決めてしかるものなのか。
まあ、あまり難しく考えることではないんでしょうね。
日々過ごしているとあまりそういうことは意識しなくなった。
深く難しく考えると、自己と哲学のような問答になる。
そんなことを考えていた頃もあったような
なかったような…
やりたいようにやり、色々と頑張ったり経験したりとそれなりに生きてきた。
まあ、それで良いんじゃないかとは思うが。
どうやら自分は今を生きることに夢中なのかもしれない。
その中で充分に自らの存在を意義づけられているので…
結局は自分で自分の存在をどうするかということなんでしょうね。
家族がいるから自分の存在は…
自分のために…
はたまた恋人のおかげで自分の存在は意義…
色々と、色々とであるがそれは結局人それぞれということか。
「What Was I Made for?」
「何のために私は存在してる?」
ビリー・アイリッシュの楽曲。
映画「バービー」のサウンドトラックでも有名だ。
グラミー賞でも多数ノミネートされ、年間最優秀楽曲賞などを受賞した素晴らしい曲だ。
ちなみに映画の楽曲が年間最優秀最優秀楽曲賞を受賞したのは、セリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」以来だそうで。
レオナルド・ディカプリオとケイト・ウインスレットの船上でのシーンが、脳裏に浮かびますよね。
懐かしい。
ビリー・アイリッシュの楽曲。
本当に素晴らしいと思う。
何のために存在するのか。
何のために生まれてきたのか。
深く考え、様々なことから自分を見つめ直す。
あの出来事は
そして自らの心の行きどころが
その全てが果たして自分にとって何なのか。
メランコリックな曲調の中に、悩み、考えぬく主人公の心の揺れみたいなものを感じてしまう。
戸惑い迷いつつも前を向き、やがて自らが生まれてきた意義や意味をとらえようとする決意みたいなものを最後には感じる。
PVの世界感とビリー・アイリッシュの声や演技が凄くマッチしていて音楽を含め、全てがピタリとハマった一曲だと思ったり。
まだ23歳だったっけ。
ひょっとしたら、その年齢だからこそ作れた楽曲なのかもしれませんね。
若いからこそ、自分の揺れ動く心情を表現できた…。
年齢をそこまで重ねていないことの一つの「答え」なのかもしれない。
曲は世界中でヒットを飛ばし、オーストラリアや、スイス、UKシングルスチャート、アイルランドなどで一位を獲得したそうだ。
本国ビルボードホット・ロックチャートでも一位を獲得したそうで。
現代を代表するアーティストであることは間違いない。
さて、そんな若い世代の名曲を聴くのは何も同じ世代の人々だけではない。
多分だが、幅広い世代の人達に受け入れられたのでは。
良いものは良い。
音楽を聴くスタンスとしてそうありたいですよね。
古い、新しい、若い、歳を召された関係なく。
良いものは良い。
きっとそのスタンスこそが自らの存在意義を輝かせ、そして音楽的探求心を刺激し、長く現役として第一線を走りぬいてきた一つの原動力になったのではなかろうか。
UKの重鎮、ポール・ウェラー。
自分でも何個か記事に書かせて頂いてるが、やはりポールは尊敬できるお方で好きなアーティストだ。
一月のライブでは変わらぬ姿を見せ、音楽に対する溢れる情熱を身をもって表現し、熱いライブを披露していた。
五月には自らの年齢、それにちなんだアルバムタイトル「66」を発表し、健在ぶりを示している。
ゲスト・ミュージシャンでノエル・ギャラガーや、プライマル・スクリームのボビー・ギレスビー、自らの娘さんであるリア・ウェラーも参加している。
いや、全然枯れない。
作品の攻めてる感が凄く伝わってきて良いんですよ。
若い。
見習いたい。
そのうち「66」も記事で書いてみたい…
どうでも良いですが。
いや、みんなに尊敬されるわけだ。
ブレない生き方。
その存在は凄いものがある。
歩んできた人生の重みがそうさせているのかもしれない。
「What Was I Made for?」
その素晴らしさをポールが表現すると…
「娘にこの曲を教えてもらったんだ。」
ビリー・アイリッシュの名曲をポール・ウェラーがカバーしている。
お子さんであるリア・ウェラーに曲のことを教えてもらい、それをカバーしたそう。
何か凄い。
一回り以上も年齢の違うミュージシャンの曲をこうやって歌い作っているとは…
やはり人として、ミュージシャンとしての姿勢みたいなものを感じてしまう。
ビリー・アイリッシュバージョンとは違う、ポール・ウェラーならではの表現。
優しく歌い、人生を歩んできたものにしか作り出せない雰囲気を醸し出しているというか…
味わい深い。
ひたすらに丁寧に、柔らかく包み込むかのような「What Was I Made for?」。
音楽に対する真摯な思いみたいなものを感じるし、自らの存在だけでなく、全ての存在を慈しむかのように…
そこにはビリーと楽曲に対するリスペクトも込められていて、何だか凄いなと思った。
ポール・ウェラーのようには絶対になれない。
それは言うまでもない。
ないが…
到底ポール・ウェラーのような存在にはなれないが、そんな年の取り方ができるように心掛けたい。
そして自分にしか出せない存在感を磨いていきたいと思ったり。
それならば、ですね。
いずれにせよ…
ビリー・アイリッシュバージョンもポール・ウェラーバージョンも素敵な良い楽曲です。