昔々…
昔々…
本当に幼い頃の話。
当時まだ自分が補助輪付き自転車に乗って駆けていた頃。
まだまだどれだけスピードを出して良いか分からなかった。
段々と馴れ始めた時…
思わずスピードを出しすぎ、田植え前の田起こしされた状態の田んぼに自転車ごと突っ込んだ事がある。
激しく泥まみれになった。
幼い頃の記憶はあまり残ってないが…
今でもハッキリ覚えている。
それだけ衝撃的だった。
幸いにも地面が柔らかだったので怪我はなかった。
高低差もなかったので、それもプラスだったのだろう。
自転車も引きずり出してもらった。
家に帰ったら親にビックリされた。
あんたどうしたの!?
そりゃビックリするわな(笑)
そんな衝撃的な事は記憶に残ってるもんだ。
遠い過去の事…
昔々の話だ。
ちなみに突っ込んだ田んぼの状態は泥水のような感じ。
そんな所に突っ込んだら泥まみれになる。
泥水は英語でマディ・ウォーターって言うらしい。
昔々…
幼き頃に泥だらけになって遊んで帰る姿を見て、親族に「マディ・ウォーターズ」ってあだ名をつけられた人がいるらしい。
マッキンリー・モーガンフィールド
そう…
後世に名を残すブルースマン…
後の「マディ・ウォーターズ」として活躍する方である。
子供の頃に名付けられたあだ名をそのまま芸名にしたという事か。
何となくカッコイイっす。(*´д`*)
後にロック界のローリング・ストーンズやエリック・クラプトン達にも影響を与えた事で知られている。
マディは1913年とも1915年とも言われる出生年にミシシッピー州にて生を授かる
幼少期はプランテーション(大規模農園の事)にて過ごす。
幼少期からハーモニカを吹き後々にギターを始めたという。
当時のミシシッピーではデルタブルースの創設者とも言われるチャーリーパットンや、教会の牧師さんであったブルースマン、サン・ハウスにクロスロードで悪魔に魂を売り渡し、ギターの凄腕を手に入れたと言われるロバート・ジョンソンなどが登場してきた頃だ。
アコギと自らの声のみで作り出されるディープな世界…。
デルタ・ブルースと言われる方達の音楽を聴いているとそんな感想を抱く。
マディはパーティーなどで歌う際にはロバート・ジョンソンやサン・ハウスになりきって演奏していたらしい。
時が流れ1941年、ブルースなどの歴史学者のアラン・ローマックスがミシシッピー州に訪れた際に、マディと出会う。
ロバート・ジョンソンにインスパイアされた弾き語りをしているマディに興味を持ち、1941~1942年に連邦図書館資料用にマディの声と演奏を録音する。
そしてマディは叔父のアンクル・ジョー・ブラントがシカゴ北部に出ていたことも手伝い、1943年にシカゴ北部に移住する。
スイート・ホーム・シカゴ…
あまり人種を特定するような言葉遣いをしたくない。
不快に思われる方もいるかもしれない。
申し訳ない。
だが、少しそのことについても触れてみたい。
どうかご容赦を!
19世紀に起きた南北戦争終結後に起きた社会変動によって、アメリカ南部地域では黒人の権利をはく奪する州憲法が制定されてゆく。
「奴隷解放宣言」を掲げて繰り広げられた南北戦争…。
歴史のことはセンシティブで難しい事柄なんで、あまり迂闊な事は言えないが…。
何とも言えない!
そして第一次世界大戦中に移民受け入れ停止で起きた労働不足を解消するため、シカゴでは黒人の就業機会を提供するようになった。
シカゴは北部に位置する都市。
あくまでも予測で書いてしまうが、当時南部よりも差別のようなものは緩やか?だったのではなかろうか。
そういった条件も重なり南部からシカゴに移住し、職を得る黒人は増えていった。
このへんにもシカゴブルースが築かれていく土台があったという事だろう。
改めて述べますが、どうかご容赦下さい。
マディもシカゴに出た当初は、製紙工場に勤めたり、トラックの運転手をやりながらクラブや酒場で演奏をしていた。
ちなみにマディはシカゴという都市の喧騒に負けないためにエレクトリック・ギターに持ち替えたそう。
そしてアリストクラットと契約したマディは、1947年アリストクラット・レーベル(後のブルースの名門レーベル、チェス・レコードの前身)からレコードを発売してゆく。
マディがブルースマンとして世に出た瞬間か。
この1947~1948年にかけて発売されたレコードは南部中のあらゆるローカル・ラジオ局でかけられたらしい。
その1948年に「アイ・フィール・ライク・ゴーイング・ホーム(田舎に帰りたい)」と「アイ・キャント・ビー・サティスファイド(満足なんかできない)」がその南部やシカゴでヒットした。
ちなみにマディのアーティストとしての在り方を述べた事で…、
非常に参考にさせて頂いている。
きっと南部からシカゴに移住してきた黒人の心情をとらえた部分も大きかったのではなかろうか。
「田舎に帰りたい」 「満足できやしない」
その気持ち…
何となく分かる気がする…。
そしてマディは1951年~1954年の頃にビルボードのR&Bチャートでヒットを飛ばしてゆく。
そしてこの1948から54年の間に録音収録された楽曲中心に、50年代末にチェス・レコードから発売された【ベスト・オブ・マディ・ウオーターズ】というアルバム。
① アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・ラブ・トゥ・ユー
② ロング・ディスタンス・コール
③ ルイジアナ・ブル―ス
④ ハニー・ビー
⑤ ローリン・ストーン
⑥ アイム・レディ
⑦ フーチー・クーチー・マン
⑧ シー・ムーブス・ミー
⑨ アイ・ウォント・ユー・トゥ・ラブ・ミー
⑩ スタンディング・アラウンド・クライング
⑪ スティル・ア・フール
⑫ アイ・キャント・ビー・サティスファイド
~ボーナストラック~
⑬ ローリンストーン(別テイク)
⑭ フーチー・クーチー・マン(別テイク)
⑮ ローリン・アンド・タンブリン(パート1)
⑯ ローリン・アンド・タンブリン(パート2)
⑰ ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー
⑱ マニッシュ・ボーイ
⑲ ルック・ホワット・ユーブ・ダン
⑳ ガット・マイ・モジョ・ワ―キン(パート2)
よく聴いているアルバムだ。
マディのキャリアでいうなら序盤、そしてR&Bの主役を張っていた頃か。
マディの若さを感じる歌もあるし、音としてどんどんと洗練されていくのが分かる。
前述の「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」ではマディのスライドギターが何とも言えない味わいを醸し、ベース音がサウンドを支える。
このギターの独特の「ビヨ~ン」って音が、満足できない人間の心情を表しているんじゃないかと個人的に思っている。
現在よりも圧倒的に機材や技術がまだまだ発達していなかった当時。
楽器で音を出すという行為をどのようにしたら…何て心を砕いていたんではなかろうか。
決して現在がそうじゃない…何て言っているわけではない。
ただこのアルバムの節々にこの当時の音作りのこだわりみたいなものを感じる。
このギター音で好きな曲は⑥の「ローリン・ストーン」もそうだ。
ローリング・ストーンズの名前の由来にもなった有名な曲。
アコギで弾けば、ディープなカントリーブルースにもなりそうだ。
エレキで弾き語り、何ともロウな響きを出して底の方から何か蠢くような雰囲気を演出している。
転がる石と、歌詞で出てくるCatfishとはナマズのこと(らしい)。
この曲の世界感はこのマディの弾くギターが表しているのかな。
心の奥底をくすぐるような響き…。
癖になる曲( ;∀;)
マディの歴史はシカゴブルースバンドの隆盛にもつながる。
レーベルの契約内容の縛りで制約されていた演奏スタイルは徐々に、色々な音も加わるようになっていく。
リトル・ウォルターのハーブや、アーネスト・クロフォードのベースなど加わっていき、より洗練された味わいを生んでいく。
まさにマディ・ウォーターズのキャリアの隆盛期を迎えた1950年代。
問答無用のヒット曲でストップ・タイムが印象的で静かに、徐々に盛り上がるようにして歌い、曲を盛り上げる⑦「フーチー・クーチー・マン」。
後世にも色々な人がカバーしたりしているブルースの定番曲。
まあ歌詞内容は一流の冗談ソングという事で…(^^)/
当時作詞家のウィリー・ディクソンが曲を作った時に、曲のイメージとマディの雰囲気が合っていたから彼に提供したとかしないとか…。
哀愁を醸しているようなハーブの響きや、止まっては始まり、止まっては始まり…を繰り返しサビの部分で居丈高に歌うマディの歌声。
まさにマディのための曲なんじゃあないかとも思っている。
ちなみに先日知り合いの先輩ギタリストの伴奏でこの「フーチー・クーチー・マン」をプライベートのお遊びで歌わせて頂いたが…。
何となく後世でもブルースの定番として残り、色々な方達がカバーしている理由が分かったような気がした…。
良いんすよね~。
何か(^^)/
他にもボーナス・トラックで1955年に発表された「マニッシュ・ボーイ」(CD版のアイム ア マン!~の歌詞の後の聴衆のイヤ~!の合いの手が何とも心地よい)も最高だ。
個人的に曲のリズム感とマディの歌うリズム感はタメが聴いていて最高だと思っている。
横ノリの曲かな。
そしてボーナス・トラックのラストを飾る大団円の曲「ガット・マイ・モジョ・ワ―キン」も見逃せない。
こちらもブルースの定番…、むしろロックの定番曲ともいえるのではなかろうか。
おれのモジョよ、働けとひたすらマディが歌い続け、時には唇をぶるぶると震わせたりしながら歌う様が一度聴いたら忘れられない(^^)/
バックの豪華なバンドサウンドも聴きごたえがあって、まさしくラストを飾るに相応しい曲なのではなかろうか。
他にも名曲がたくさん詰まっており、マディの初期の頃を知る上でも、そしてブルースの定番をしる上でも、更にアコギ主体だった時代から電子音、エレキサウンドが主流になっていく初期の頃、そしてそのバンドサウンドを体感するには持ってこいのアルバムなんじゃないかと思っている。
非常に愛聴させて頂いているアルバム。
まだまだ聞き込み様が足りないのでこの先もずっと愛聴してゆくだろう…。
・ローリン・ストーン
・フーチー・クーチー・マン
・マニッシュ・ボーイ
・アイ・キャント・ビー・サティスファイド
・ガット・マイ・モジョ・ワ―キン
・ガット・マイ・モジョ・ワ―キン(1960年ニューポートライブversion)
マディの一部の代表曲の動画を添えつけてみました。
ガット・マイ・モジョ・ワ―キンのニューポートライブでのマディのノリノリさ加減が好きで最近よく視聴してます(笑)
宜しければご視聴下さい!
記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!