Drunken~酒に酔った…~
・序文
人いる所に人集まり
人集まる所に街がある
街あるところに灯がともり
灯がともる所に人集まる
人集まれば会話が始まり
会話あるところに食がある
食あるところに酒があり
酒あるところに人がいる
酒は酒の上に人をつくらず
人を人として平等にする
今宵も酒は人を裁き
裁きの時間に涙をし
今日も1人酩酊す
嗚呼…
今夜は酒と泪に溺れてみたい…
ナンチャッテ。
詩みたいな?もので始めてみましたが、タイトルの「Drunken」にかけた詩(?)を序文としてみました。
ええ、自己満です。
詩(?)に描いたように人ある場所に酒があるわけで…。
今宵も何処かの街のとばりで、お酒にちなんだ様々なドラマが繰り広げられているんでしょうね。
ある意味世の中の摂理でもあるし。
摂理あるところに酒がある…。
酒あるところにドラマあり。
それは古今東西問わず。
酒にちなんだストーリー。
…
……
………
・バレルハウス
古い時代の話。
20世紀初頭~中期のころか。
「バレルハウス」
かつてバレルハウスと呼ばれる安酒場が存在した。
barrer=樽の意味。
樽から直接ウイスキーを出す安酒場といった感じ。
アメリカ南部の黒人労働者達が、労働のあとに集う安酒場。
イメージを更に深く考察するならば…
そのイメージが湧きやすい文章だと思う。
廉価なアルコールを飲め、ピアノが鳴り響いていた安酒場。
そこで鳴り響くピアノは「バレルハウス・ピアノ」と言って、荒っぽいリズムのピアノ演奏を主体としていたそうだ。
労働者達が賃金を手に入れ、安酒を呷り朝まで踊り明かした場所。
息抜き、憂さ晴らしをするためのダンス、それを呼び込むための強烈なピアノ「バレルハウス・ピアノ」のリズム。
最初のうちは陽気に飲んで踊る。
だが時間が経つにつれて、狂気をはらんできて場内が沸騰しタフな場面にもなったそうだ。
なので酒場で演奏していたピアニストは、ある意味只者ではなかったんでしょうね。
ちなみにピアニストはブルースを弾くピアノのあることさえ分かってれば、気軽にどこへでも行っていたそうだ。
この時代のピアニスト、そしてブルース・マンなど旅をしてあちこちで演奏をするというスタイルが一つの主流でもあったのでしょうね。
以上で簡単に「バレルハウス」についての説明をしてみた。
またバレルハウスは…
ジュークジョイントとも捉えれるということか。
そう考えると上記で説明した「バレルハウス」よりも、どうやら広義で捉えれると考えても良さそうですね。
音楽、ダンス、ギャンブル、飲酒を楽しめる場所。
酒あるところに歌がある…。
「Drunken Barerel House Blues」
意味合いとしては「酔っ払いのバレルハウスブルース」ってな感じか。
もう、まさしくド直球なタイトルですね。
酔うんです。
酔いたいんです。
ある意味豪快なタイトルだ。
では「酔っ払いのバレルハウス・ブルース」を歌っているブルース・シンガーは誰なのか…
・メンフィス・ミニー
メンフィス・ミニー
本名はリジ―・ダグラス。
女性ブルース・シンガー。
1897年6月にルイジアナ州ニューオーリンズで生まれた。(ミシシッピ生まれという説もあり。)
亡くなったのは1973年だ。
七歳の時にミシシッピ州ウォールズに引っ越し、翌年にギターをクリスマスプレゼントで貰い、そして引っ越した三年後に父親からバンジョーを買ってもらったそうだ。
四、五年もしないうちにギターもバンジョーも達者に弾きこなすようになり、十五歳の時には「キッドダグラス(ダグラス小僧)」としてメンフィスの通りを流していた。
そしてウォールズの鉄道線沿いにあったジュークにも顔を出すようになり、自身の音楽性を広げていく。
やがて流しの活動を経て、1916年~1920年にかけてサーカスの一団となり南部ツアーの仕事を得た。
その後再びメンフィスに戻り、1929年にカンザス・ジョー・マッコイと演奏をするようになる。
ちなみにカンザスは二番目の夫になる人。
二人のデュオはコロムビア・レコードに見出され、ニューヨークに赴いてレコーディングをしたそうだ。
その時に担当者から「カンザス・ジョー&メンフィス・ミニー」と名付けられた。
二人は1930年~1934年8月までヴォカリオン・レコードというレーベルで、レコーディングを続けている。
その後二人は1935年に離婚したそうだ。
ミニーは1930年初めから50年代終盤まで、シカゴを中心にしてメンフィス、ディープ・サウスを廻る生活を主として、ブルース・シンガーとしてのキャリアを歩んでいた。
メンフィス・ミニーがシカゴで演奏をしていた際の様子を、ラングストン・ヒューズが1943年1月9日付けのシカゴ・ディフェンダー誌に書いたコラムだ。
その様子が浮かび上がる。
演奏が上手いと同時に、その場にいた聴衆たちを感情移入させてしまったんでしょうね。
それ程に演奏が迫真に迫ったものであったのか、見事なまでの「ダウン・ホーム」な響きが聴衆の慕情を刺激したのか…
いずれにせよ、素晴らしいものだったんでしょうね。
メンフィス・ミニーについて語り継がれるのは、性格的にはとにかく荒っぽくて、タフで、強い女性だったそうだ。
想像するに、それなりに荒っぽい現場などでも演奏したはず。
やはり肝っ玉が据わっていたんでしょうね。
今時こんな言葉を書くと時代錯誤と言われそうだが…
「男勝り」
だったんでしょうね。
ええ、スミマセン。
そしてメンフィス・ミニーは大変な「酒豪」だったそうで。
ええ、この部分が件のブルースにつながっているんでしょうね。
・「酔っ払いブルース」
「Drunken Barerel House Blues」
「酔っ払いのバレルハウス・ブルース」
ミニーの弾く、ベース音がいったりきたりしながら、メロディを刻む「オルタネイティング・ベース奏法」が何とも心地良い。
ベース音の時折鳴る「ボーンッ」って音が個人的に気に入ってる。
何よりベース音を鳴らしながら、リズムを刻んでるのが凄い。
早急なリズムで、「酔っぱらった感」を演出しているのか。
歌詞(google参照)を見ていると、これは酒豪と言われたミニーだからこそ歌えるブルースなのかと率直に感じた。
朝に酔っぱらった私を捕まえて、何も言わないでくれよ。
ようするに、夜を徹して飲んでいたのか?
もしくは朝から飲んでいたのか?
酔っぱらっていることに対してブツブツ言わんといてよ。
っみたいな。
そんな風に思える一節があったり
もう一杯ちょうだい。
酔いが治まっている気がする、また酔いたい、ってか飲みたい。
そう、中々強烈なブルースだと思う('ω')
ひたすら酔いたいのか、んで飲みたいのか…っみたいな。
ええ、ある意味凄いですね。
歌詞の中には「ジンを飲まなくてもいいから、ビールジョッキを頂戴!!」
っみたいな一節もある。
ジンのほうが好きなんですかね。
分かりませんが。
「私は酔っぱらって、この古いバレルハウスを壊してしまうよ。」
「だってお金はないけど、街を出ていけるから。」
和訳もGoogleなどで検索すると、「街を出ていける」というのは「自由に遊び回れる」みたいな感じになってたりする。
酔っぱらってバレルハウスを破壊するというのはいかがなことか。
そこのお酒を根こそぎ飲み尽くし、いる必要がないからか。
そのバレルハウスで仕事(演奏)をしていて、他に良い話を貰ったから、バレルハウスがなくなっても街は出ていける…。
っみたいな。
もしくはバレルハウスのことを単純に「樽詰め工場」としているのも散見したりする。
謎だが、取り敢えず「drunken」なブルースなんだ。
まあ、それで良いじゃない。
っとか思ったが、
この「Drunken Barerel House Blues」。
調べてみると1934年にヴォカリオン・レコードから、「Stinging snake blues」って楽曲と一緒にレコードとして発売されているんですよね。
カンザス・ジョーとデュオを組んでいた頃ですね。
1934年。
カンザスと離婚する一年前。
そのことに触れるわけではないが…。
・1933~1934年
1934年に「酔っ払いのバレルハウス・ブルース」が発売されたのは中々興味深いことだと思って。
何故か。
発売される前の年(1933年12月5日)にある法律が廃止された年でもあるんです。
ええ。
「禁酒法」ですね。
歴史の教科書にも載っていたような大きな法律ですね。
1920年にアメリカで施行された法律で、何でもアルコールがもたらすトラブルを問題視しての、倫理観から定められた法律だとか。
禁酒法は1920年~1933年から施行された法律で、アルコール飲料全般の製造、販売、輸送、輸出入のみを禁止した法律だ。
アルコール提供者に不利になる法律で、飲む側に制限が課せられたわけではない法律ですね。(違っていたらごめんなさい)
ええ、あくまでも造る側に。
まあ、密造酒が出回ったり、作ったり、海外から秘かに輸入したり、国外に出て飲みにいったり、はてには工業用アルコールなどを用いた粗末なアルコールも提供されてたとか。
映画「アンタッチャブル」で有名なアル・カポネが酒を密造したり、販売したりして有名でしたね。
まあ、飲むことに関しては抑制は…
もぐりの酒場があったりなどしてたそうだ。
ただ禁酒法によってカクテル文化は大ダメージを受けたそうで。
造る側には相当なダメージがあったんでしょうね。
そんな紆余曲折を経て禁酒法は1933年12月に廃案となった。
国民の飲酒を禁じるまでに至らなかったわけですしね。
禁酒法絡みの取り締まりも困難を極め、密造や密売の横行なども重なったことも要因だったんでしょうね。
そして1929年の世界大恐慌。
色々なことが重なり廃案となったそうだ。
ちなみに禁酒法撤廃を掲げて大統領となったのはフランクリン・ルーズベルトだ。
廃案された翌年に発売された「酔っ払いのバレルハウス・ブルース」。
世の中の雰囲気的にある意味望まれたブルースなのかと思ってしまう。
公に酔っぱらってしまうことに対してのブレーキがなくなったから。
レコード会社も1929年に起きた世界大恐慌の影響が残っているかもしれない。
っとなると、発売するレコードは平時より売れて欲しいという欲求が高いと思われる。
いや、分かりませんけど。
ある意味この年に「ドランケン~」な状態なのはトレンドだったのかもしれませんね。
だって、やっと大手を振ってお酒を呑みに行けるわけだから。
酔っていることが聴取の心を掴むものだったのかもしれない。
そんな「ドランケン~」な曲を酒豪でタフなミニーが歌うと、余計に説得力が増しますよね。
時代の空気感を取り入れ、メンフィス・ミニーという個性を最大限に生かした楽曲とも言えるのですから。
いや、全部推測ですけど。
そのようなことを踏まえて歌詞のことを考えると…
酔っぱらって古いバレルハウスを壊してしまう。
それは1934年の空気感そのものかもしれませんね。
古いバレルハウスは禁酒法時代の、そのものへのオマージュを捧げているのかもしれませんし、または密造酒や密造所のことを指すのかもしれない。
それを公に「酔って」壊してしまうのですから。
メンフィス・ミニーだからこそ歌えたのかもしれませんね。
壊した後、お金はないけど街から出ていく、楽しみにいく…。
お金はないけど、1934年以降の世の状態で生まれたお酒などを、ジュークやバレルハウスなどでお酒を楽しめるということだろうか。
ええ、安価で楽しめるのが売りですもんね。
禁酒法時代にはさらに品質の悪いお酒が出回っていたのかもしれませんね。
色々と考えれますね。
自分はこの一節に1934年以前のオマージュが潜めてあるような気がするんですよね。
そして歌詞にあるジンは飲まなくても良いし、ビールを!ってところですが…
禁酒法が修正され、施行された1933年4月7日。
この時の改正法でビールや、低アルコールのワインなど一部の製造販売が認められるようになったそうだ。(blog.sapporobeer.jp参照)
っということは、当時ジンよりもビールの方が良いものが出回っていたのかもしれませんね。
もしくはジンがさほど市中に出回っていなかったのか。
それは分かりませんが、ビールの方が早く市中に出回っていたことは確かなはずだ。
ビールの方が美味しい…。
そうなのかもしれない。
なので、ジンよりもビールなのかもしれませんね。
ええ、歴史の流れから見ると中々興味深いブルースなのではなかろうかと。
当時の世相をブルースに乗せて、メンフィス・ミニーが滑稽に酔っているようにしながらも、ようやく公に「酔っぱらえる」喜びを歌った曲かもしれない。
そして古いバレルハウスや、ジンやビールなどは「禁酒法」に対しての一種の「揶揄」を表しているのかもしれない。
あくまでも自らが酔っぱらっている体でいることが第一条件だが。
そうすることによって、本当に言いたいことは伏せることができるから…。
・最後に
長々と書いたが、自分にはメンフィス・ミニーの「Drunken Barerel House Blues」は楽曲の良さと同時に、時代の流れの中での「味わい」みたいなものも感じてしまう。
「Drunken Barerel House Blues」
1934年の楽曲。
酒のように例えて言うならば…
この「90年もの」の「味わい」を含んだ楽曲に、たまには酔いしれてみるのも良いかも。
お酒にちなんだブルース・ストーリー。
以上です。
記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!!
最後に文脈とは全く関係ないが、メンフィス・ミニーの楽曲をもう一つ。
「Me and My Chauffeur Blues」
宜しければご視聴下さい。