始業式から帰ったら、だいすきな先輩から手紙が届いていた。 なんのことはない中身だったけど、やさしいにおいがして、考えた。 本当なら手紙を書きたいけれど、今どこに住んでいるのかわからないあなたに、せめてものメールを送ってみてはどうだろう。 あけましておめでとうございます。 ここ数年メールも送らずにいましたが、毎年毎年「今年はどうしようかなあ……」とすごく悩んで、ついに今年は夢にまで見ました。 たかが一通メールを送るのに、それぐらい勇気がいる距離感はおかしいのかもしれませんが
※なにもそんな恐ろしい話ではない。 わたしの母は、曾祖母が亡くなったときに足首を骨折した。 曾祖母の死とは直接なんの関係もなく、気が滅入っての不注意だったのかもしれないけれど、我が家では誰かが亡くなったとき、その魂は痛みで生きている者に感謝を伝えるのだ、という考え方が確固としてあった。 うれしい、きもちいい、たのしい、なんて感情は、喉元をあっという間に過ぎてしまうので、ずきずきと響くたびに意識せざるを得ない、痛みに生前のあれこれを託す。 以前お付き合いしていたひとの猫が亡
Instagramを更新するときに、#にしゅうかんまえのわたし、というタグを付けている。そもそもはこのご時世の中で、外出したことをすぐに外に出すのははばかられるな、とやりはじめたことなのだけれど、せっかく自分の吐き出し場にnoteを作ったのでここにも書いておくことにする。 2021年7月1日、兵庫県立芸術文化センターで『未練の幽霊と怪物』を観た話。 この感動は書いとかないと、と思いながら時間が経っていたら、惰性で見ていた開会式にまさかの森山未來が出てきて世界線がリンクしま
幼少期、私はとてもよく体調を崩した。 誰に確認したわけでもないが、だいたい週の半分くらいは幼稚園に行けなくて、登園するともらえるシールが「れんらくちょう」にまったく溜まらず、ひと月皆勤した子どもだけがもらえる、きらきらの大きなシールが心底うらやましかった。 母は初めての子どもである私に対してそれなりに心配性で、救急で病院に連れて行かれた記憶もうっすらとある。人工的なオレンジの味のする、目盛りのついた液体も覚えている。 ただ、うちにはほとんど市販薬を飲む習慣がなかった。 病院
関西。 さんじゅうだい。 公務員。 声を出すことや文字にすることはすきだけど、どうにも空っぽなわたしが、ぽつぽつと思い出したわたしのことを書きます。