地方公務員入庁1年目で療休と年休をすべて使った話 #1
こんにちは。ヤマタツです。
ここ最近は趣味の話ばかりで公務員の私のお話をほぼ出来ていなかったので、今回は原点に帰ってお話していこうと思います。
タイトルのとおり、私は入庁1年目の時に精神的ダメージを被り、取れる休暇を取りつくしました。
原因
私のメンタルが弱かったと言われればそれまでかもしれませんが、原因は上司からの圧力と非常に雑な扱いによるものでした。
1年目にも関わらず、「これくらい常識やろ?」や「そんなん考えたらわかるやろ?」のような、そもそも”役所の常識”を知らない私に対してそのような発言や言動を繰り返しされました。
指導的立場にいる人間が指導を放棄していたのです。
周りの職員も全く声掛けなし。ちなみに直属の係長は私が入って5ヶ月で精神的な病気で休職しました。私が入る前の年にも半年ほど休職されていました。
日々の生活と心情
日々、指摘されないように、事を大きくしないように、しか考えなくなりました。市民へのサービスの感情なんて全くありません。大事だったのは「上司に何も言われないように、何もないように、もしくは何も無かったかのように立ち回ること」。
こんなことを考えながらしか日々の仕事が出来なかったので、日に日に精神が衰弱していきました。
帰りの駅のホームで22時くらいに意識がなく、気づいたらニヤニヤ笑っていて、慌てて普通の真顔に戻したりしたこと、ここで電車に飛び込めば楽になれる、とか思ったり。
家に着いたらむしろ元気になり、夜中の3時くらいまで目が冴えて眠れない日も多くありました。
「何も言われなくてよかった。何も無くてよかった。」
職場でなにもなかった。これが生きがいでした。
療養へ
そんな日々を続けられるはずもありません。そして、何も起きない日々が続くわけがありません。
そして、さまざまな細かいミスが出てきて、「何も無い日々、何も起きない日々」が終わりを迎えます。それと同時に、私の精神状態も限界を迎えます。
這うように、心療内科へ向かいました。職場にも休暇の連絡も入れず。休日出勤をした翌日でした。
診断されたのは「適応障害」。診断書と薬をいただき、帰宅しました。
もちろん、職場からは電話がかかってきており、折り返しの連絡。診断書を手にした私には休む以外の選択肢はありません。しかし、この時の上司の命令は「職場に来い」でした。
次回へ続きます。
2021年1月25日
続き完成しました。地方公務員入庁1年目で療休と年休をすべて使った話 #2|ヤマタツ #note #私の仕事 https://note.com/absol_yamaguchi/n/ned37541e9b61
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