中学時代にあった、習い事への奇妙な差別
最近、教育格差という言葉を使った記事を目にするようになった。
これから綴る文章は格差について書いたものではないが
この記事をある箇所を読み、私が経験した、中学生時代にあった習い事への奇妙な差別を思い出した。
この差別について書こうと思う。
習い事というのは大多数が経験している訳ではないが、同級生に塾やスイミングスクールに通っていた子がいた、という人は多いだろう。
私は地方の田舎出身だ。小学校の同級生は大体30人くらいで、その内習い事をしていた(やってたけどやめた)と記憶しているのは3分の1くらいだった。
当時はそろばん塾が小学校から徒歩15分ほどの場所にあり、私を含め5、6人はそこに通っていた。
その他はピアノ、スイミングスクールが2,3人ほど(重複も含む)。塾に通っていた人もいた。
習い事をしていなくても地域のミニバスに参加しているなど、学校の外で経験を積んでいた人たちは多かったと思う。
ところが中学校に上がると、外での習い事をしている人たちが急に異質な存在になっていく。
部活が登場するためだ。
私は中1の2学期から3学期、約半年ほど塾に通っていた。そろばん塾も続けていた。
当時は土曜日の半日授業がまだあったため、土曜日は
12時に授業終わる→13時から2時間部活→15時以降にそろばん塾
というローテーションだった。
そのため何度か塾を理由に部活を休んだ事がある。
同級生からズルいと言われた事があった。
先輩たちから注意を受けた。
「もう少し真面目に部活やってね」と。
その時はすみません、と頭を下げたと思うのだが、
今思うとなぜ謝罪しなければならないのだろうと疑問だし、ズルいと言われるのもおかしい話なのだ。
中学生は部活に精力を傾け、学校の外での活動なんて言語道断という意識が当時は確実にあった。
実際、中学までそろばん塾に通っていたのは私だけだった。同級生はいつの間にか辞めていた。
言語道断というよりは「塾に通ってまで勉強する奴」の存在が謎だったのだろう。
勉強したいなら進研ゼミのような教材もあるし、受験時期になってから行けばいいでしょ?
という考えだったのだろう。今思えばその気持ちもよくわかる。
それ以前に「勉強真面目にする奴ダサい」という考えが大きかったと思う。
塾は部活との両立が困難という理由で半年ほどで辞めてしまった。
市外にあったのだが、全国展開しているそこそこ有名な塾だったためか、私以外にも市外から通っている人たちがいた。
電車で30分ほどかけて来ていた附属中学の子もいた。
休み時間にその子たちと集まって他愛ない話をする。
それが楽しかったのだ。
おそらく都市部の方は「中学生の習い事にけちをつける人が内部にいる」という事に本当か?と怪しまれるだろうが
地方では多分今でもある話だ。
先に上げた記事では
さらに中学生の段階で体験活動にかかる支出が抑制されるのだという。
その理由として「中学校から始まる部活動があるのではないか」と書かれている。
「部活の地域移行」について、私は賛成の立場だし、どんどん支援すべきだと思う。
それから学習に充てる費用が多くなってもよいのではないかと思う。
学校での経験も大切であるが、学校外での経験も重要だ。
先ほどの塾の話に戻るが、私が塾を楽しいと思えた理由は勉強をした経験よりも
そこで一緒に勉強を共にした学区外の人たちとの会話が好きだったからだ。
習い事を経験した方であればピンとくるのではないだろうか。
その楽しみが、部活によって消えてしまった事は、正直悔しかった。
現在東北の片田舎に住む私だが、十数年前の習い事(特に塾)に対する考え方は今でも変わらないのだろうか、とふと思いを巡らせた。
せめて「勉強真面目な奴かっこいい」という意識になっていてほしいな、というのが希望である。
余談
習い事に関してだが、なぜかピアノを習っている人に関しては寛容だった。
十数年経った今でも謎である。