希死念慮と自殺願望について思うこと

死ぬ気になれば
死ぬこと以外はかすり傷
よく聞く言葉だ

この言葉が響く人は死が遠い人達だ

死が近い人達には響かない

感動して涙を流す
喜びを分かち合う

人との関係の中で共有が出来ない人

生まれなのか育ちなのか

楽しいもなければ辛いもないある意味フラットな人間

めんどくさがりでどうでも良いが癖になっている人間

彼氏と上手くいってなくて死にたい
親の介護が辛くて死にたい
ガンになって死にたい

私のような人間からみたら彼らに差はない

仮にガンですと言われたら多分そうですかと言って安楽死は保険適応で受けられるのか聞くような人間

みんな必死に生きてるんだ
自分のために頑張れよ
家族がいるから頑張れる

依存と何が違うのだろうか
アル中もヤク中も自分以外のために頑張る人も

依存ができない
共有できない
人間として欠陥品

笑顔の練習
相槌
会話の練習

仮にアスペルガーだとしたら集中できるものがあるはずなんでしょ
人の表情とか言葉を読み取ることはできる
でも心からそうなってるのを理解出来ない
こだわりをわかりたいよ

タバコも吸った
酒も飲んだ
競馬もパチンコもやった
風俗も行った

でも何一つ続かなかった

依存出来ていたゲームもほとんどやらなくなった

将来は合法地域で薬をやってみたいな

依存症は生きる理由になるから

多分私は凄く怠惰な人間なのだけれど
希死念慮と呼んでいいものか

自殺願望は辛いから死にたいのかな
人に伝えることで依存できてるのかな

鬱と言いたいと思うんだけど
物心ついた時からこれ

旅行も定期的にしてるけど知ってるが増えるだけ

人間ひとりでは生きられない
わかってる
ゴミ捨てのたびにちゃんと思ってる

生きる希望も死ぬ理由もわたしは維持することが出来ない

人と話すと疲れます

メガネ汚れのように拭いても拭いても時間が経つとそこにあるのが希死念慮でいいのかなと思う今日この頃

脳みそ弄ったら普通に近づけるかな

奨学金返し終えるまでに答えを見つけたい

焼きそば食ってねとけ
その通りだ

焼きそば食って寝ます

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