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内田百閒著『第一阿房列車』の「標幟」(ひょうし)について。
『第一阿房列車』を読んでいて【標幟】という知らない言葉が出てきたので調べました。字面で見当は付くのですが……
【ひょう‐し〔ヘウ‐〕 】の解説
行動の指標となるもの。はたじるし。
本書第二話「区間阿房列車」は国府津、御殿場線、沼津、由比、興津、静岡をめぐる旅。
といっても特に目的のない旅です。これは第一話「特別阿房列車」と同じです。東京大阪間の往復でしたが、大阪が目的地というわけではありませんでした。行って帰るだけ。
百閒さんの旅。強いて言えば目的は、◯時◯分の列車。その列車に乗ること。列車の勇姿を愛でること。鉄道のあれやこれやを楽しむこと。
それまでの何時間かはただ待つだけ。2時間でも3時間でも。
泊まりがけの時はもちろん食べたり飲んだり、飲んだり。でも特にこだわりの食事でもなく。
「旅は道連れ」の言葉通り、そんな百閒さんにも若い国鉄マンがいます。ヒマラヤ山(山系、ヒマラヤ山系とも)というあだ名。
かといって、道中特に話が弾むわけでもなく二人ともマイペース。それがいいのかも。
さて、待ち時間。その時間を利用して、観光しようとか、名物のおいしいものを食べようとかはないのです。
それをすると、阿房列車の「標幟」(ひょうし)に背く、と。
しかし、私は駅長の勧誘を受けながら考えて見たが、面白そうではあるけれど、行けばそれだけ経験を豊富にする。阿房列車の旅先で、今更見聞を広めたりしてはだれにどうと云う事もないけれど、阿房列車の標幟に背くことになるので、まあ止めにして置こう。
もし、観光や食事という方に話が移っていけば、あるいはそれによって見聞を広めたりするのは、普通良いことと思われます。
しかし、それでは『阿房列車』たるものではなくなる、と百閒さん。
阿房列車に似て非なる随筆、エセーであって今日に残らなかったかもしれません。
〈阿房〉に徹すればこその恩寵。百閒の面目躍如というところなのかもしれません。
ときに、百閒さん流のこだわりありですが、それは読んでのお楽しみ。
ところで、阿房とは阿呆いわゆるアホウと同じなのでしょうか。
あほう
【阿房・阿呆】
《名ノナ》
おろかなこと。また、そういう人。ばか。
どうやら同じ意味らしいです。自らをアホウと呼ぶ。露悪といえば露悪。
しかしアホウは自己や他者をおとしめた言葉かというとそうとも言い切れないですね。
大阪ではよく「おまえはアホか」とか言います。昔〈横山ホットブラザーズ〉という兄弟漫才がありました。
「お~ま~え~は~、ア~ホ~か~」ノコギリを木琴のばちで弾きながら、この言葉を言う。子供たちに特にうけたました。
ともだちの間でよく流行って、大人にたしなめられました。
「アホ」と断定するのでなく、「アホか」と疑問形で留保がある。
あえて無知を装ってみたり、それによって場を和ませたりする人がありますが、そんな人に向かって発するとき、この言葉はその人にとっての勲章となります。
必ずしも、けなし言葉ではなく、同感と同情の入り混じったニュアンスでもあります。
わかるよ、おまえの気持ち。でもな、普通そこまでする人はおらんのとちがう?みたいな。
阿房、阿呆、アホに徹すると何かに達する。
百閒さんの意気やよし。標幟に脱帽。
待ち時間をただ待つか、何かをしながら待つか。
空隙を何かで埋めようとするか、そのまま受け入れるか。
アリの生き方をするか、キリギリスを選ぶか。
積極的な行動をするか、受け身でいくか。
百閒さんからすればどちらを選んでも大差ない。選ぶのはその人次第、〈標幟〉次第。
そう言っておられるのだと読みとりました。
※Ainaさんの画像をお借りしました
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