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『人間の建設』No.35 人間の生きかた №3〈トルストイとドストエフスキー〉
小林 僕はドストエフスキーほどよく読んではいませんが、トルストイも好きです。ドストエフスキーはトルストイをあまり好かなかったのですが。
岡 ……トルストイは端まで一目で見渡せる街に似ている。……書かれていることが初めから形式論理の範疇にあるような気がする。それと対照的なのがドストエフスキーです。ドストエフスキーは次のページを予測することができない。
小林 そういうことはありません。トルストイも偉いです。言葉は乱暴ですが、トルストイには、言葉の飛び切りの意味でドストエフスキーと違って馬鹿正直なところがあるのです。ドストエフスキーという人には、これも飛び切りの意味で狡猾なところがあるのです。
こんどはドストエフスキーとトルストイの話に入ります。小林さんがドストエフスキーの魅力を「悪漢」と要約し、岡さんがトルストイを「真正直」と形容します。
これはほとんど正反対の性格というか、ものの見方の違いなのだと思います。岡さんはトルストイの小説を一目で見渡せる街のようと言いました。いっぽう、ドストエフスキーの小説は先が予測できないと。
岡さんの言うことはわかる気がします。両作家の小説を決して多く読んだ経験は私にはありませんが、少ない読書経験でも両者の違いというものを意識します。
岡さんはドストエフスキーの方が好みに合うといっています。私はというとドストエフスキーが嫌いというわけではありませんが、『戦争と平和』と『カラマーゾフの兄弟』を比較すると、前者の方が好きだと思います。
『戦争と平和』を読んで面白かったことのひとつが、人間というものの変化です。
ピエールとナターシャでいえば、ピエールが人生経験を積み明らかに人として成長する様子や、ナターシャが結婚して母となり、娘時代から想像できない強さを身につける様子など。
一方、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』はよむのは読みましたが、おもしろさという意味では正直なところあまり実感がありませんでした。登場人物に、感情移入できないもどかしさを感じたこともあります。
ところが、読んだ作品の数で言えば、トルストイよりドストエフスキーの方が多いんです。不思議ですが。戦争と平和でトルストイに近づき、カラマーゾフでドストエフスキーから遠ざかった感じなのです。
ともあれ、作品につき一回きりの読書でどこまで深く読みこめるかということもありますし、読むときのコンディションや、読む時期の意味もあると思います。
実は、お二人の対話に触発されて先日からドストエフスキーの『白痴』をkindleで読み始めました。これが、おもしろいのです。光文社古典新訳文庫、亀山郁夫さんの翻訳がこなれた文章で読みやすいと感じます。
翻訳文がしっくりこないと楽しく読めませんものね。作品の傾向も『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』とは違う感じを受けます。ドストエフスキーにまた近づいている気がします。楽しみながら続きを読んでいきましょう。
‐―つづく――
※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。
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