幸せなアナログレコードとの再会(聴きました編8) 『モーツァルト協奏交響曲』
一度は売却して「ゼロ枚」になったアナログレコード。でも、また欲しくなって取り急ぎ30枚ほど中古で購入。聴くと楽しかったりほろ苦かったり。レコードの一枚一枚は、青春の一コマ一コマだったんですね。新しい発見もあるでしょうか。そんな再会のお話、よかったらどうぞ。
協奏交響曲とは
協奏曲の一種で、複数の独奏楽器とオーケストラが合奏する楽曲です。モーツァルトは完成させたものとしては2曲を残しています。いわゆる交響曲のくくりには入りません。
ヴァイオリンとヴィオラと管弦楽のためのものと、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のためのものです。
ヴァイオリン、ヴィオラと管弦楽のための協奏交響曲 変ホ長調 K.364
第1楽章の清涼感と哀愁の対比、第2楽章の哀切と美しさの極み、第3楽章の雲一つないような晴れやかさ。長年折にふれ、この傑作をなんどもくり返し聴いてきました。
時に応じてよりそい、なぐさめ、励まし、こころ解放するモーツァルトの音楽。
ザルツブルクの街を歩く、モーツァルトとミヒャエル・ハイドンのふたり。ミヒャエルがモーツァルトに向かってこの曲を賞賛します。たしか、ドラマ『モーツァルト』の一場面でした。バックに情感あふれる第2楽章のメロディーが流れて印象的でした。
第2楽章 アンダンテ
violin : ヤッシャ・ハイフェッツ
viola : ウィリアム・プリムローズ
指揮アイズラー・ソロモン
RCA交響楽団
1956年10月2日録音
この曲は、1779年夏かあるいは初秋(23歳)にかけてザルツブルクで作曲された。モーツァルトは、これより前の1777年9月から1779年1月にかけて、マンハイムとパリを大きな目標として大旅行をした。
……モーツァルトはザルツブルクに帰ってから、そこの宮廷管弦楽団のために、宮廷音楽家としてこの曲を作曲したものらしい。
(ライナーノート:門馬直美)
全曲演奏はこちら
本レコードが音源と思われます。(ベーム、ベルリン・フィル)
オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲 K.297b
昔からずっと親しんできた曲で、ワクワクするような第1楽章、抒情的で牧歌的な第2楽章、リズミックな第3楽章、全体にどこか懐かしい感じのする曲で聴いてて楽しくてたまりません。
そして、じつは謎の多い曲でもあります。
第3楽章 アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ
ヘルベルト・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
モーツァルトの協奏交響曲の第1作は、前に述べた大旅行でパリに到着してほどなく、1778年4月5日から4月20日の間に作曲された(22歳)。(ライナーノート)
パリの演奏会で演奏する予定で、モーツァルトは楽譜を指揮者のル・グロに渡したのですが、なんと紛失してしまったというのです。おかげで、演奏する機会さえありませんでした。この出来事には何者かによる妨害説もあります。
その後、モーツァルトが記憶をたどって書き直すつもりだった、との記録が残っていますが、自筆の手書譜は見つかっていません。
19世紀半ばにこの曲の出所不明の写譜が発見されましたが、独奏楽器のうち、なぜかフルートがクラリネットに代わっていました。
ということで、謎が多く、いまだにこの曲の真贋論争は決着していません。でも、なにごとも曲自体の価値を左右するものではありません。全くモーツァルトらしい作品なのですから。
全曲演奏はこちら
ベーム盤音源は探せませんでしたので、気鋭の指揮者の演奏でどうぞ。
hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団)
アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮
2021年4月29日/フランクフルト
ミヒャエル・ハイドン
ミヒャエルは、有名なヨーゼフ・ハイドンの弟で、モーツァルトより19歳年長です。生涯のほとんどをザルツブルクの宮廷音楽家として過ごしました。
モーツァルトの父親とは同僚の関係であり、モーツァルトともお互いに敬愛し合う良好な関係でした。モーツァルト親子の旅行中の穴を埋める役割も果たし、生涯に800曲の作品を作ったそうです。
データ
アーティスト
トマス・ブランディス(ヴァイオリン)
ジュスト・カッポーネ(ヴィオラ)
カール・シュタインヌ(オーボエ)
カール・ライスター(クラリネット)
ゲルト・ザイフェルト(ホルン)
ギュンター・ビ―スク(ファゴット)
カール・ベーム指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
レコード番号
グラモフォン 20MG0388
(グラモフォン Best 100)
発売元:ポリドール株式会社
録音年月/場所
1964年12月、1966年2月/ベルリン・イエス・キリスト教会
※Atelier hanami さんの画像をお借りしました。