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『人間の建設』No.14 数学も個性を失う №2
岡 内容のある抽象的な観念は、抽象的と感じない。……対象の内容が超自然界の実在であるあいだはよいのです。それを越えますと内容が空疎になります。中身のない観念になるのですね。それを抽象的と感じるのです。
小林 そうすると、やはり個性というものがあるのですか。
岡 個性しかないでしょうね。
岡さんがいう「内容のある抽象的な観念」とはどんなものなのか。
辞書によれば「抽象的」という言葉の意味は、多くのものの中から共通するものを抜き出し、一般化して考えることです。(肯定の意味合い)
もう一つの意味は、物事の実態や実際の姿から離れていて、具体性に欠けるというものです。(否定の意味合い)
つまり、言説や理論がものやことに沿っているかいないか、具体性に準拠しているかどうか。と考えれば少し見えてくるかもしれません。(※1)
抽象化の度合いが過ぎたり、抽象の上に抽象を重ねるようになると、われわれの感覚からかけ離れていくと思います。
一つ一つのものやことは、個的で相矛盾する個性です。それらの対象のうちから何をどう選び展開するかにも、選択者の個性が反映するでしょう。
小林さんが問い、岡さんが肯定した理由がここにあると思います。
――つづく――
※1.岡さんの言う「超自然界」とは何か。前段の対話のなかに「勘」「直観」という言葉がありました。五感に収まる自然界、に対して、それを超えて存在するもの、ほかに「虫の知らせ」「第六感」「無意識」「深層心理」さらには「啓示」「悟り」など、われわれが時として経験したり、導かれたりする、そういったものをも含めた「実在」なのではないでしょうか。
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