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60年代、流行った洋楽。23
『70年代、流行った洋楽』の60年代版です。
60年代の初頭は、私自身がまだ少年時代。音楽に目覚める以前のことでした。そのうち、ラジオのAM放送やテレビなどから流れる音楽に意識が向くようになりました。そんななか、記憶に残る曲にもめぐり逢いました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけでなく、半世紀よりもさらに前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。
60年代にはこんなことがありました。
マルタ島の砂/ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス
The Maltese Melody/Herb Alpert & Tijuana Brass up(1969年)
この曲もよく流行りました。原題を和訳すると「マルタのメロディ」となりそうですが、邦題は「マルタ島の砂」。これはどういうことかについては、下の記事が参考になります。
この歌のイメージとなっている場所がゴゾ島の北部にあるラムラビーチがこの曲の舞台と言われています。
「Ramla」はマルタ語の「ラムラハムラ」を語源としている場所で、赤い砂という意味を持っています。
ここから、マルタ島の”砂”が由来している説が有力でしょう。
つまり、この邦題を考えた人は、上の事情を汲んだうえで、そうしたのでしょう。なかなかのものですね。
私も今回初めてその由来について知りました。
さて、アメリカ出身のトランペッターで作曲家のハーブ・アルパートですが、この曲以外にもヒット曲がたくさんあります。
次のニ曲も、みなさんどこかで聞かれたことがおありと思いますが、いかがでしょうか。
ビタースィート・サンバ~蜜の味/ハーブ・アルパート & ティファナ・ブラス
Bitter Sweet Samba~A Taste Of Honey/Herb Alpert&Tijuana Brass(1965年)
ハーブ・アルパートの手になる曲は、みなノリが良くて、親しみやすいですね。ムード・トランぺッターというくくりで言えば、ニニ・ロッソとならんで、親しみを覚える存在です。
ドミニク/スール・スーリール
Dominique/La Sœur Sourire (1963年)
この曲は、原曲で聞いたのか、ペギー葉山さんのカバーで聞いたのか、はたまたNHKテレビ「みんなのうた」で聞いたのか。はっきりとはしていないのが正直なところですが、聞いた覚えはたしかにあります。
作曲は、ベルギー生まれのスール・スーリール。彼女、美術でパリへ留学のあと、ブリュッセルに戻って、教壇に立ったりしました。その後、ドメニコ会の修道院に入ります。
修道院でギターを習い、作曲の才能を認められ、院の応援もあって1963年にレコードを出します。その中の「ドミニク」がヒットして、またたくまに国際的スターになった、とのことです。
ところが運命のいたずらか、紆余曲折ののち恵まれないまま、失意のなか亡くなったそうです。
でも、この曲は人に感動を与えながら今も残っています。多分これからも。
ドミニク/ペギー葉山
この曲には日本語の歌詞が複数存在するのですが、ペギー葉山さんの歌唱が原曲の歌詞に近いということなのでご紹介しました。ペギーさんの歌唱も聞き応えがあります。
イパネマの娘/アントニオ・カルロス・ジョビン、アストラッド・ジルベルト、ジョアン・ジルベルトなど
The Girl From Ipanema/Astrud Gilberto & Stan Getz(1962年)
この曲、今までにいったい何回聞いたことでしょうか。覚えていませんが、何度聞いても飽きないことはたしかです。
ボサ・ノバといえばこの曲を思い出すほど有名だし、名曲とも思います。イパネマの娘には、実在のモデルがいたとのことで、このビデオにも出ています。
また、ジョアンとアストラッドのジルベルト夫妻のこの曲をめぐる齟齬、角逐とその後の人生の明暗など、この曲にまつわるエピソードも多くあり、ミステリアスな側面を感じさせられるという一曲です。
※素晴木あい さんの画像をお借りしました。
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