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『人間の建設』No.40 「一(いち)」という観念 №1〈飛鳥ノ京〉

小林 岡さんのいらっしゃる奈良は五月がいいですね。藤の咲く頃は本当にいいな。あしびも咲いて。私は若いころ奈良に身をひそめたことがあって、奈良の四季は知っています。……
ぼくはこの間、久しぶりに飛鳥ノ京に行って、驚きました。飛鳥めぐりなんてバスが出ていて、蘇我馬子の墓に行ったら、全部掘り返してますね。ひどいことをしますな。昔は畑の真ん中にきれいなお墓があって、なんとものどかなところだったのです。……

小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 小林さんが、岡さん在住の「奈良」について語ります。私は未見ですが、春日大社の「砂ずりの藤」はきれいだそうですね。宇治平等院の藤を見た感動は今も忘れませんが、春日大社の藤もいちど見てみたいものです。

 さて、小林さんの「奈良に身をひそめてたことがあって」という文章が気になります。恋多き長谷川泰子をめぐる、中原中也なかはら ちゅうやとの三角関係の整理でしょうか。単身、大阪・奈良に移り住み、志賀直哉家に出入していたとか。

 まあ、小林さんもモテたんですね。とはいえ、いまから百年近くも前の話ですから……。小林さんここでは熱が入って対談の主導権をとっています。岡さんは、あいだに二言三言はさむ程度です。

 次に、蘇我馬子の墓、いわゆる「石舞台古墳」のお話。小林さんは掘り返されたことにおどろいたと言います。しかし、私が驚いたのは逆に、もとは土に埋もれていたということ。掘り返したあと埋め戻さなかったのですね。

 時代が変われば常識も変わる、の好例ですね。私を含めて、むき出しの状態で岩が積まれた、いまの姿しか知らないのが現代人の大半でしょうから。

 次に、本居宣長もとおりのりながの話に移ります。小林さんは「本居宣長」を著わしました。相当研究されたのですね。

 対談の続きで、小林さんは本居宣長のことを「ペケ」なんて貶しているように見せて、本心ではほめています。ただ、この辺りの小林さんは含むものがあるためか、意味深な言い方をしていますね。

小林 本居宣長さんという人は歴史家としてはペケですな。何にも掘り返さないんです。掘り返しちゃいかんと言っている。「古事記」であろうと「日本書紀」であろうと事実である。「万葉集」と同じ種類の事実である、掘り返してはいかん。掘り返しても出てくるものは弁当の殻ぐらいなものだと言うのです。実に健康で簡明な思想です。まあ、こんなことを言うと、暴言と取られるから止めときますが、歴史家は文章の上で、実はこうであったろう、ああだったろうということを言うのはいいが、しかし掘り返すということは、もっと丁寧にやってもらいたいですよ。跡かたづけはやってほしい。……

同上

 小林さん、ここで本居宣長の思想を紹介しながら、文化財に対する心得ともいうべきことを披瀝しています。蘇我馬子の墓~石舞台古墳に対する行跡に対して、かなり辛辣な批判を胸に抱いているように見受けられますね。

 いま、あのからっぽの姿でたたずむ「石舞台古墳」のすがたを脳裏に思い浮かべ、その即物的な呼称を思うとき、私が感じること、それはまさしく「空虚」なのです。

‐―つづく――




※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。


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らいとらいたあ
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