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拝啓 春色のコンプレックス

「ピンクは女の子の色とされてきた」と耳にするたびに「女だからってみんながみんなピンクを選べると思うなよ」って中指を立てていた。世の中にはたくさんの色が溢れている。明るい色、鈍い色、似合う色、似合わない色、私らしい色、私らしくない色、女の色、男の色。ピンクは一体誰のものなんだろう。柔らかなピンクがもつ女性性のイメージは、特権。私にとって、ピンクほど美しく複雑な色はない。

3月中旬、「文喫」という書店を訪れた。かの青山ブックセンター六本木店の跡地にオープンした、入場料のある本屋。前に訪れたときは入場待ちで、入ることができなかったのだけど、この日は月曜日の夕方で、人気はまばらだった。受付で支払いを済ませてシステムを説明されたあと、コインと一緒に渡されたのは白い封筒と便箋。「今、『手紙展』という企画展示をやっているので、よかったら」とのことだった。

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4時間近く本を物色し、ウトウトしながら読み切って、特製カレーも食べたし、おかわり自由のコーヒーとお茶でもうお腹もタポタポだ。帰ろうかなと思った頃に、例の手紙キットを思い出した。こんなに堪能したのに、欲張りかしら。でも、まぁせっかくじゃない。心の中の阿佐ヶ谷姉妹が後押ししてくる。説明書き曰く、この便箋を使って「未来に届ける手紙」か「誰かに届ける手紙」のいずれかを書いて投函するという。未来の自分か、見えない誰かか。

どっちにしようかな。迷ってツイッターで「文喫 手紙」で検索したら、上記の記事を見つけた。この方が綴られた体験が素敵だったので、ミーハーな私は「誰かに届ける手紙」にした。宛先もお題目もない手紙を書くのは初めてかもしれない。誰に読まれないかもしれない、でももし私の手紙を読む人がいたなら、ちょっとでも励みになる方がいいな。ならばと、ここは恥ずかしげもなく、今の私が送りたいエールを書こうと思った。それは色にまつわるコンプレックスからの解放について。

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春色のコンプレックス
コンプレックスってお持ちですか?容姿、性格、学歴、家庭... 私のそれは「ピンクが苦手」ということ。ピンクの服を着たいのに、どうもしっくりこなくて。「ピンクは嫌い」と周囲に言ってきました。本当は好きなのに。ピンクが似合う愛らしい「理想の女の子」との間に感じる絶望的ギャップ。私にはピンクをまとう資格はないのだと思ってきました。
今、1枚だけピンクのブラウスを持っていて、時々着ています。衝動的に着て外に出てみたんです。驚く程、それは気持ちのよい事だった。ずっと見えない誰かのジャッジを恐れてきたけど、その正体は自分だったと気付きました。なんのアドバイスにもならない個人の体験ですが、この手紙を読んだあなたが「自分で自分を苦しめている何か」を解放できる春になることを祈っています。素敵な春にしましょうね。

セーラームーンのちびうさ然り、カードキャプターさくらのさくらちゃん然り、ガンダムのラクス・クライン然り…(アニヲタだったので)ピンクを纏った「理想の女の子」の可愛さは強烈で、中学生ぐらいからいよいよピンクに手を伸ばすことはなくなった。現実世界では、女子力とモテの名の下に容赦無くピンクは使われていく。その度にそういった価値観に嫌気がさして、ピンクへの憧れとは裏腹にピンクがどんどん遠ざかり、次第に嫌いなものになってしまった。20代後半まで、ほとんどピンクというピンクに触れることはなかった。

それが今になって、私が嫌いだったのはピンクじゃなくてピンクが背負わされていたジェンダーイメージだったんだってことに仕事を通じて気がついた。自分のキャラを分かっているわきまえた人間であろうとしてきたけれど。「ピンクはかわいい雰囲気の子にしか似合わない」「私のキャラじゃない、モテ意識みたいでイヤだ」って思っていたけれど。それは見えない誰かにすり込まれてきたバイアス(偏見)だったんだって最近やっと腑に落ちた。誰かに何か言われるんじゃないか、なんて思う必要ない。社会の目とか他人の目なんかより、むしろ自分がピンクを選ぶ自分を許さないことに気づけた途端、あとは優しくしてあげるのみだった。

実を言うと、この解放運動には段階がある。最初はメイク、次は小物、そして服。ちょっとずつピンクを纏う面積を広げていった。特段何も言われなかったり、その色いいね〜って言ってもらえたり。無関心と肯定、そのどっちもが大事だった。今年の初めにこのピンクの服を手に入れたけど、今だって好きなピンクと苦手なピンクは存在する。好きな時もあればやっぱり似合わない、って思う日もある。でも、これは私らしくない!教わってきていない!と過去の自分の癖に閉じこもり制限をかけておくこともないはず。心に素直に好きなものを纏って、自分に優しくなってみたら、コンプレックスは勝手に小さくなる。あれだけラブリーでモテでブリブリだったピンクへのイメージが、今は温かく幸福でセンシュアルなものに変わった。

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さて、自分の手紙を投函すれば、誰かが書いた手紙の中から1通選んで読むことができる。アクリルの箱に積まれた手紙の中から、タイトルだけでどの手紙を読むかを決めるのは悩ましかったが、「栞とエッセイ」と細く小さな字で書かれた手紙を見つけた。それは手紙を書く前に読んだ記事の人の手紙だった。そこには今、恋人がいて、その人と過ごす生活がとても豊かで穏やかなものだと綴られていた。(おぼろげだが)「"正真正銘の女の子になりたい"」という一文と共に。

女の子の心を欲しながら、男性として今も生きていること。パートナーは男性でその人といると女の子でいられるということを、あとでこの方のnoteを読んで知った。ある記事に書かれた「同性愛者が外で生きる難しさは、周りの目よりも自分たちの心の壁が何より影響する」という文章に、自分のコンプレックスを重ねざるを得なかった。立場も対象も違えど、自分が自分を許さないということは生きづらさの大元だ。どうかもっと優しい世界であって、と願った。

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もうじきに春は終わる、すでに初夏の匂いだ。散歩に出るたび、人間社会はこんなに大変なことになっているのに、御構い無しに花々は咲き誇って季節を謳っている。こんなに自分に優しくなっても、世界は変わらず回っていくのかと安心する。素敵な春、とは到底いかなかったけれど、次の季節も、この手紙を読んだあなたが「自分で自分を苦しめている何か」を解放できることを祈って。

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