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【旅日記】奈良・聖武天皇陵
それは住宅地のなかに忽然と現れます
一見するとちょっとした公園ですが
中をのぞくと「公園」と言うにはあまりに広大であることがわかります
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「聖武天皇および光明皇后の陵墓につき、みだりに侵入すべからず」
的なことがかいてあります
生涯の中で4回元号を変え、4回遷都を行ったという聖武天皇。
特に都を変えるのは、わずか5年の間に4回も行われたとのこと。
当時の国民にもなかなかストレスフルだったようで。
とはいえ、聖武天皇の治世には事件も多く、
はやり病もあれば、藤原広嗣の乱(九州での反乱)もあり。
その他数々の災難と混乱にもまれながら
最後は奈良の大仏で有名な東大寺大仏を建立するとの詔を出して
完成を待たずに亡くなります。
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鬱蒼とした森しかみえません
しかしやはり陵墓に独特の迫力…一種の威圧感すら感じます
たしかに日本史の授業では
「聖武天皇は鎮護国家思想に基づき仏教で国を治めようとした」などと、呪文のように習いましたが
当時は”仏教で国が治まるなんてことあるのかしら…”と、ちょっと思っていたりして。
でも今、
こうして本当に様々な災厄が
この地続きの地球上で起きていることを感じて。
そして
そういった災厄にたいして
自分がこの身を以てできることが
あまりに矮小であることを
あまりに明白に感じて。
確かに
私にできるのは
私に確実にできることなんていうのは
心から祈ることくらいなのかもしれないと思うようになって。
そして、もしかしたらこの
心から祈る
というのは、
決して小さなことではないのではないかと思うようになって
改めて「仏教で国を治める」という試みに思いを馳せました。
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うっすらと肌寒い風が流れてきますが
決してゾッとするというようなものではなく。
前時代に強力な実権を握っていた藤原家の四兄弟が相次いで天然痘でなくなり(彼らに追い落とされた長屋王Familyの呪いだといううわさも流れたとか…)
そこから政治の現場は大混乱に陥りました
外国の政策を以て改革を推し進めようとする勢力もあれば
それに抗うものもあり。
本当の未来のことなんて、誰にも分からない。
聖武天皇は、諸行無常を、ものすごく肌で感じておられたのかもしれない。
だからこそ、
全国に国分寺・国分尼寺という祈りの拠点を作り、
その祈りの柱の大きな中心として東大寺大仏をお造りになったのかもしれない。
帝とはいえ
人であるのだから
諸行無常の理には逆らえないけれど
それでも少しでも多くの人の痛みを除き
恨みつらみ、禍根がのこらないようにしたい
彼の無謀とも思える遷都・改元から
今はそんなことを勝手に感じてしまいます。
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変化があまりに早く
情報はあまりに多く
心はどこまでもすり減ってしまう今だから
祈りの力は見直されるに値するのではないかと
そんなことを思った夕方のおさんぽでした。
彩