藤沢周平「たそがれ清兵衛」

筆者は、藤沢周平氏のことをよく知らない。
何しろ、こちとらゼロ年代の若者である。歴史小説なるもの、すべからく無彩色のスーツのおっさんの読むもの、という悪しきバイアスをかけて見てきたのだ。

下らない自分語りで申し訳ない。もう少しだけ。
筆者はこの前、鶴岡に行ってきた。藤沢周平氏のふるさとであり、藤沢周平記念館もある。見学した。
覚えているのは、藤沢氏が雑誌の取材で、もしもう一度(一から)作家人生を送れるなら、次はどんな作品を書きたいか、に対する答えだ。
(記憶の限り)「庄内に暮らす普通の人々の生活を書きたいと思う」
そうおっしゃっていた。

とにかく、展示物からは藤沢氏の謙虚な人柄が伺えた。直木賞も、この作品(「暗殺の年輪」)でもらっていいのかと戸惑っておられ、執筆していた部屋も、直木賞作家のものにしては、随分とこじんまりしていたものだった。

それで、筆者は歴史小説を―一応人生初の―読んで見ることにした。この人柄の方が書く小説なら、読んでも後悔しないだろう、と。

それで、今回はまず興味を持った「たそがれ清兵衛」を読んだ。
読んで意外なのは、「たそがれ清兵衛」登場が割に遅いこと。

あらすじ。先に、かねてよりの藩の不況(日照りと洪水による凶作が原因)が語られ、そのなかで、新興勢力の筆頭家老、堀将監が豪商、能登屋と手を結び、権勢を強めていく様が語られる。
さらに、堀は「性格温順な」「藩主の三弟与五郎の擁立」も画策する。
そこで忠臣たちが「『こちらも強気に退陣を迫り、(略)聞かねばその場を去らせず堀を討ちとるほかはあるまい。』」と結論を出し、討手を探す。
そこで、「たそがれ清兵衛」の話が出てくる。
清兵衛には「『女房がおりますが、それが長年の患いで臥(ふせ)っており』」、「城をさがると、飯の支度から掃除、洗濯と車輪の勢いで働」く。
それに加えて、「その疲れのせいで」「昼の城勤めでは、そろばんをにぎって居眠りすることもある」。
この2つの理由から、彼は本名の「井口清兵衛」ではなくて、「たそがれ清兵衛」と呼ばれている。

ただ、こう言うと申し訳ないが、ここからの展開はおおかた予想通りなものなのだ。
彼は見事堀将監を討ち取り、褒美として「城下から小一里ほどはなれたところにある鶴の木湯宿に妻」を送り、静養させる。

おそらくは、この家庭人としての「たそがれ清兵衛」と、剣の達人、「井口清兵衛」のギャップが読みどころなのだと思う。
ただ、これは歴史小説の約束事なのかもしれないのだけれど、清兵衛の心理描写は淡白で、そこだけ物足りなかったかも知れない。

清兵衛の行いは、当時の封建社会では明らかに異質なものだろう。実際、清兵衛に堀を討つことを望む上層階級の武士たちは、
「しかし、そなたに命じていることは藩の大事じゃ。女房の尿(しし)の始末と一緒には出来ん」
と、明らかに清兵衛の行いを下に見ている。
だからやはり、この両者の思想は相容れないものだ。
その相容れなさを追求したらどうだろう、そんなことを(偉そうに)筆者は考えたりした。

ただ、筆者は藤沢氏の作品に明るくない。
すでに別の作品で補完されているかもしれない。

とにかく、文章の骨組みがしっかりしていて、そのなかから「たそがれ清兵衛」という一人の人間の像がくっきり浮かび上がってくる短編だった。
次は「日和見与次郎」か「ど忘れ万六」を読んでみようと思う。



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