森茉莉氏の「恋人たちの森」冒頭に置かれた詩篇。
筆者は男性同士の同性愛を扱う作品には疎いが、いわゆる抱く側がこの詩を創ったギドウ(義童)、抱かれる側がパウロ(巴羅)で当っているだろうか、本作は彼らの恋愛模様を豪奢な文体で描き出した短編である。
この二人の特徴について見ていきたい。
ギドウは、
「バスチィユ牢獄」―バスティーユ牢獄。ここへのパリ民衆の襲撃が一般にフランス革命の開始と言われる。
「マラアの半裸身」のマラアは聖母マリアのこと。
「洋袴」はズボン。「徽章のあるベレ」は主に金飾りの紋章のついたベレー帽、途中に出てくるフランス語は「自由・平等・博愛」を指す。「サンキュロット」は都市の最下級労働者。ただ意味が「貴族のキュロット(半ズボン)を履けない者たち」だから、「短い洋袴」は矛盾するか。
パウロは、
さて、すでにお腹いっぱいの感じはあるが、「恋人たちの森」の真骨頂はここからである。ギドウとパウロの愛し合い、睦み合うその気配―それは栄養豊富のスープのように魂を癒やしてくれる。
「茉莉」は二人の馴れ初めの酒場。
ギドウには植田夫人という熟年の―すでに飽きかけている―恋人が、パウロには梨枝という―やはり本気ではない―恋人がいる。二人はお互いの恋人について一戦交える。
旅行には車で行くと約束したギドウが人目につく恐れから電車にしたのに不満なパウロ。
愛されている者の傲慢な美しさが、欲張りに言葉を費やす文体から匂い立つ。
恋とは傲慢だし排他的だ。だから美しい。