小島信夫「返信」
ときどき、説明するに困る小説を読んでしまうことがある。
なら他人に説明しなければいいという反論は無駄で、他人に説明不能なことはまず、自分に対しても説明ができない。
小島信夫氏の「返信」が、まさにそういう短編なのだ。
まず、ストーリーらしいストーリーはない。読み終えてなお、何の話をされたのかもわからない。ほとんどおばけに化かされた心地だ。
一応要約すると、作家小島信夫本人を思わせる「私」とK家の関係についての短編なのだが、この要約では、おそらく何も言ったことにならないだろう。
「内田魯庵は小説のほかに、たくさんの評論や随筆がある。」―こんな、エッセイ風の一文から短編は始まっている。
そこから、内田魯庵が「漱石の作品で好きなのは初期のもので」あることが紹介されるも、それは「漱石の『硝子戸の中』のことを書くための枕」だという。
それから、K家の「Kさん」との思い出話とそれを「『燕京大学部隊』や『実感女性論』」―どちらも小島氏の実際の著作―に書いた話に、「今から四十六年前に(略)『硝子戸の中』をはじめて読んだ」―この一つ前、「硝子戸の中」の話の続きを糸口に入っていく。
それからK家の「ツバの広い帽子をかぶったその一番上のお嬢さん」との「小さな灯りのような経験」―つまり、恋愛経験だ―を、前述した自身の作品からの引用を書き並べながら話していく。
それが、彼女への恋文を兄に渡すも、兄は「私」が「『誘惑されている』」と手紙で伝え、恋文を「『封をきらずに処分』」する話に移る。
その後、ボート部合宿の話+実家から「母親が死んだ」意味の電報を打たせた(おそらくズル休みするため)話が始まり、しかし「私」は悪びれるでもなく「道草をくってしまった」と「硝子戸の中」に話を戻し、「彼女を忘れようとするため」「硝子戸の中」を「見ることをやめ」たエピソードが語られる。
話は同じ漱石の「文鳥」に移り、また「硝子戸の中」に戻り、その本を「『兄に無断で』」貸したせいで怒られた、と、「坂道にさしかかったとき」彼女に言われた話になる。
さらに彼女の兄の話が、彼の蔵書(「『K蔵書』と朱印がおしてあった」)の話から展開される。
もう一度自作でK家の女性たちをどう書いてきたかについての話が始まり、それは「K家の、彼女のすぐ下の妹さんから手紙をもらった」「昭和三十六年」の話につながる。
手紙は「『H学院の法学部の教授』」の「『兄』」が一家の誇りであることが書かれている。
それから、「私」のK家の人々に「会うのを拒む気持」の話に移り(「K家の人々」は(「私」にとっては)「物語となっている」と説明される)、それが過去の「座布団」「築地の壁」「紫色のフロシキ」「銭まわし」―「あのはなやいだ子供じみた遊び」―そうした様々な細部を「今でも思いうかべることができる」話に変わる。
そこから「私」が「K家の人たちが(略)齢を重ねて行くことを想像」する話になり、K家の彼女の妹から再び手紙が来る。
やはり「『兄を誇りに思っています』」という文言があるも、兄―K教授のスキャンダルが「一週間か、十日か、あるいは二週間かたったころ」に起きてしまう。
「さだめしつらかろう」と「私」は思い、しかし「K家には手紙を出さなかった。」
「私としてはK家はどこまでもK家であ」る。そう「私」は述べる。
それから、氏が「抱擁家族」―崩壊する家族がテーマの傑作―「を発表したとき」唐木順三―やはり実在の人物―「が(略)憤慨し」た話から、「人間というものは、愚かなところがあ」る―なぜか、話はスライドして人間の愚かさについての議論が始まってしまう。
さらに自作、「抱擁家族」の擁護が行われつつ、中村光夫氏の「ある愛」―実在する小説―と、それを巡り「対談」した話が、「ある愛」「の中の兄のような男」の「計算も見とおしも甘い」「実質的でない」ことへの指摘になる。
それから「小説を読んでから、ずっと心にかかっていた」話―脈絡・要点共にない―が続き、最後は「私自身の自己弁護」とまとめられて終わる。
それから人間の習い性についての話が、突如「K教授事件」に戻され、妹さんからの三度目の手紙―要約すると「『あなたのお力添えがいただきたい』」という趣旨の―を「私」はもらう。
そして小説「返信」は終わる。この一文で。
「以上は、私のK家のお嬢さんの手紙にたいする、遅れた、出されざる返信である。」
こうして、できるだけ本文を尊重しつつまとめたが、まったく話の全容が見えない。すでに字数は原稿用紙5枚に届きそうだ。
とにかく、脱線を続ける謎の短編で、普通の長編小説のほうがよほど楽に読める。
謎だが、嫌いではない。