三崎亜記「となり町戦争」/恩田陸「茶色の小壜」その他―娯楽作品を情報量から読み解く③

※性的な描写を含みます


前書き

本題

三崎亜記「となり町戦争」は、圧倒的にストーリー型の娯楽小説である。

すなわち、
a.あらかじめ読者に複数のプラス/マイナスの情報を手渡し、緊密なドラマツルギーの交錯を生む作品
例:桜庭一樹「紅だ!」伊坂幸太郎「ホワイトラビット」など
ではなく、
b.物語の自然な展開から、次第に読者を惹きつけるプラス/マイナスの情報を生み出す作品
である。
要はドラマツルギーかストーリーテリングかという話。

過度な転調を繰り返す曲がときに一貫したメッセージ性を失うように、ドラマツルギー型は下手な作家だとドタバタ騒ぎで終わるおそれがある。また人物像が類型的になりやすい。作品が公性に寄る。(高畑勲タイプ)
一方のストーリー型は作品に豊かな膨らみを持たせやすい。しかし制作者の裁量でいくらでも大風呂敷を広げられるため、ときに散漫な印象にもなる。作品が私性に寄る。(宮崎駿タイプ)

まとめると、ドラマ型作品の弱点は過剰な必然性がもたらすストーリー性の喪失・類型性にあり、ストーリー型作品の弱点は過剰な偶然性がもたらすドラマ性の喪失・ご都合主義にある。   

本作「となり町戦争」なら、日常と戦争の境界線はどこか、という主題性が、一般的な娯楽作品以上の奥行きを作品に与えることに(途中まで)成功している。
◯遠藤周作「おバカさん」、三島由紀夫「命売ります」、村上春樹氏「1Q84」など、文芸作家の娯楽作品がストーリー型を取りやすいのも(意地悪を言えばテクニックがあまり必要ではないからだが)、娯楽性の内部に文芸的な主題性を埋めこみやすいのも理由の一つではないかと思う。

作品紹介/「となり町戦争」

一人称「僕」の視点から町と町の戦争―「となり町戦争」―の顛末が語られる本作。
まず特筆すべきは、作中の物語の間に挿入された「任命書」「偵察員記録表」「敵地潜入時における緊急時行動マニュアル」などの書類に見られる、ハイパーテキスト性。
例えばジェニファー・イーガンの「ならず者がやってくる」ではパワーポイントが文章の合間に挿入されるが、本作は(おそらく)Wordで制作したであろう、お役所仕事らしい過剰な瑣末主義に汚染された書類が挿入され、独特のリアリティを醸し出している。

次にユニークなのは、例えば以下のシーン。
となり町戦争で窓が割れた住民は、室長補佐に補償額について問いただす。
室長補佐の返答は、

「(略)詳しい補償金額の算定基準につきましては、コンサルティング会社の筒井の方が、え、積算資料を持っておりますので、後ほど個別にご相談いただければ、と思いますが……え、よろしいでしょうか?」

p105.

と、「公の言葉」から一歩も出ない。
しかし、このような中身のない言葉によって戦争が粛々と進められていく過程には薄寒いリアリティがつきまとう。 

最後に、具体的な戦争の様子を描き出さず、「僕」をあくまで傍観者の位置に置いたのも正解だと思う。
平和の時代に生きる私たちに、戦争のリアリティは精々、テレビの画面越しである。
無理に書けば必ずどこかに綻びが生まれたはず。

ここまでならカフカの不条理小説に適度な娯楽性を付与したユニークな作品だが、後半に至って物語が停滞する。
やはり語り手の「僕」が傍観者である以上、物語が最初の設定(ユニークなものだが)から先に進まないのだ。
さらに、僕に町の戦争模様について教える役割の香西さんの書き方にも納得しかねるものがある。
女性の心理を一個の謎とし、性的な関係性を過度に強調する描写は時代遅れである。

僕の動きのままに、香西さんは小さく声をあげた。そしてそのやわらかく溶けた肌で、僕をいざなった。はかなげに、それでいて力強く。

p226.

女性にとって性的な関係性を他者と結ぶのは極めて大きなリスクを孕む―心身ともに―はず。
だからこそ、いたずらなファム・ファタール化で心理をぼかさず、「僕」と関係を持つに至る香西さんの人物像は明白に書き切るべきだった。
また、後半の文章にはやや勇み足がある。大げさな言葉遣いが目立つ。

余談になるが、山田詠美氏の小説(「快楽の動詞」の「ベッドの創作」だったか)にこうした男性的女性像を皮肉る短編がある。
男の方は女を抱きつつ、
「僕がこの手を離せば、彼女はそのまま奈落へ落ちていきそうだった。か細い肩を強く抱き、僕は彼女の髪を慰撫するように撫でた」など考えているが、女の方は
「ンァーッ、イクイクイクッ、ッフーッ、キモチイ、チンポ……」
ここまで酷くはなかったはずだが、実際性行為は精液やら愛液やら汗やら、極めて人間的な排出物と臭いに充ちたものであって、そんなものを有難がる男のバカさ加減を山田氏は笑ったのではないか。

作品紹介/「茶色の小壜」「国境の南」

どちらもドキュメンタリー・ホラー。
「茶色の小壜」は他者の血液を採取することに偏執的な興味のある女性三保典子、「国境の南」は喫茶店の飲み水に砒素を混入させていた女性望月加代子について、その動機を探る短編となっている。
茶色の小壜
後述する「国境の南」もそうだが、冒頭、作品と直接関係はない現実描写が数ページ続く。
これは、確か村上春樹氏の「回転木馬のデッド・ヒート」(ちなみに前書きが死ぬほどムカつく)でも使われていた手法である。
例えば町の名前にしても、「ある町」より「N町」、「N町」より「新坂町」が、読者に与えられる情報の解像度が高くなり、結果的に作品と現実の距離を近いものだと認識させる。
(余談:ガルシア・マルケスや村上春樹氏の得意とするマジックリアリズムは、情報の解像度を高めたまま寓話的な内容を扱うことで起こる捻じれを利用して成立している)

p33.で語り手の「私の(略)会社は、ゴールデン・ウイーク前に新宿のシティ・ホテルで新人歓迎会を開催する」、その理由は
1.「年度始めの忙しい時期を避け」るため
2.「新人が会社に慣れ、異動した社員が(略)仕事に慣れた頃」を選んだため
だが、「連休は月末月始を挟んでいるので」―特に事務や経理が月ごとの締め切りのある業務に追われるようだ―「どのみち忙しい」。

「私は明日までに印刷所に戻さなければならない、会社案内のゲラをチェックするのに時間が掛かって、会社を出るのが遅れてしま」う。
ここまでは物語にとって間接情報だが、そのため読者の欲望から離れて、現実の模写として機能している。

その後、「私」は自動車事故に出くわし、そこで救護活動に当たる三保典子に出くわす。
その後、「私」は三保が「自分の指先に付いた血を見て笑っていた」ことに消極的な関心を持ち、彼女の生い立ちを調べる。
◯ミステリーは常にそうだが、読者にとって最も知りたい(重要な)情報―誰が犯人か、凶器や動機は何か―を意図的に隠すことで、読者の物語への興味を保たせ続ける。本作の場合は三保典子が「血を見て笑っていた」情報の発展が読者の望みだが、それはただちに明かされず、結果、作品を展開する動力として機能している。
その後、彼女が「東京の一流医科大学の看護学科」に通っていた事実が明かされる。
その後の「なぜ彼女は看護婦にならなかったのだろう」という「私」のモノローグは読者の欲望と軌を一にし、読者への目配せ(この作品が読者の興味の方向を理解し、発展・解消することを保証する情報)として機能しているだろう。

その後、彼女が看護学校時代に末期患者から「少しだけ記念品を分けてもらう」―血を採取していたことが判明する。
この作品を駆動させているのは彼女の動機であり、それが明かされた時点で作品は機能を停止する。
その後は、彼女が「郷里に帰って介護サービスの会社を作る」ことが明かされ、同時に関谷俊子という女性が「ロッカールームで倒れてい」たこと、「体内の赤血球数が極端に減っている」ことが語られるが、これは作中の欲望の転写であり、いわば読者へのサービスとして機能する情報と見てよいだろう。

タイトルの「茶色の小壜」は彼女が採取してきたさまざまな人間の血液を収めた壜である。
なお作中では香水壜とするミスリードがあるが、看護師は習慣的に香水を使わないこと、看護学校時代の同僚も彼女が香水を使わないと証言したことから否定される。

国境の南
本来はきちんと扱うつもりだったが、「茶色の小壜」と概ね造りが同じであるため、簡略に扱う。
「駅ビルの中には衣類や雑貨、老舗しにせの全国チェーンの飲食店」、「駅前には交通標語の書かれた意味不明のオブジェの建った狭いロータリー」、「排気ガスに汚れたツツジの植え込み」「サラ金会社の若い社員が人工的な笑顔でティッシュを配」る。
やはり本来は必要性のない描写が作品のリアリティを保証し、そこから望月加代子という女性の歪な愛着が語られるが、割愛する。 
しかし、マスターの主人が共謀者だった可能性の示唆はよかった。確かに十年も砒素を混ぜ続けるのは店主もグルでないと難しい。

どちらも冒頭に―おそらく意図して平板な―情報が提示され、その結果後半の猟奇的な行為(血液の個人的収集、砒素混入)が際立つ。
冒頭の現実と近似した情報は、その後フィクション性の高い情報をより強度を持って読者に手渡すことを可能にする装置として機能しているほか、フィクション性の高い出来事を現実世界と繋ぐ役割を果たしてもいるはず。
なお、村上春樹氏の「国境の南、太陽の西」の「国境の南」とおそらく同じ由来(ナット・キング・コールの楽曲)のはずである。

(追記)冒頭ではストーリーテリングとドラマツルギーを対比のように書いたが、本来ドラマツルギーの背後には豊かなストーリーテリングの偶然性が、ストーリーテリングの背後にはドラマツルギーの緊密な必然性が、それぞれ必要となるはずである。
筆者の考えが足りなかった。

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