三島由紀夫「殉教」

※性的な話題を含みます。


美しい短編だ、どうしようもなく。

発表年は1948年。三島23歳の作品。寄宿舎の少年たちの物語なのだが―
そうしたしかめつらしい解説の前に、今から引用する本文を読んでほしい。

抵抗したために青いワイシャツは破けて病的なほど白い肩の肉がのぞいた。(略)ズボンは赤土に汚れて変に艶(つや)やかな色になった。
(略)彼の肩は青葉のかがやきに殊更白く目立つので、まるで青いシャツの破れから白骨がつき出ているようにみえた。野いばらや黄いろい微細な花や、たんぽぽの綿や野菊の花粉などが彼の赤土にまみれたズボンをさまざまに彩った。
(略)それはたえず青葉の梢から我々の目を射るあの青空、(略)畠山の腕を染めている血潮とであった。(略)血は徐々に乾いて、日ざしの中をとおるときはつややかな紫色にみえた。

文庫本「殉教」より引用

この文は亘理というひ弱な(しかし、したたかな)少年がほかの少年たちの私刑を受けるシーンだが、いつ読んでもため息が出る。
色彩の氾濫。鮮やかな(「白骨がつき出ているように」)比喩、血が「紫色」に見える飛躍。
本当に、本当にこの文章は美しい。

小説の筋そのものは(おそらくは女性器の断面図が隠された)「プルターク英雄伝」(筆者は「対比列伝」と習ったが、「プルターク英雄伝」のほうがいいね)を持つ大人びた少年、畠山と亘理を軸にした少年たちの物語だが、むしろ前述した細部に「殉教」の魅力はあると筆者は思う。 

最後、少年たちは亘理を絞首刑にする(どうでもいいが、バーセルミに似た短編があった気がする)。

縄がただ揺れていた。縊死者の姿はどこにもみえなかった。

「殉教」p86

ここの解釈は人によるが、筆者は、おそらく縄が単に緩かっただけと思っている。
亘理の頭は縄を抜け、今はどこか茂みに隠れているのだろう。

だが、あくまで一瞬だけ、畠山少年たちは「人殺しをしたという誇りで」胸を弾ませ、「すばらしい快活な速度で」走る。
少年たちのこの思い込みが「詩」であり、亘理の生存を読んでしまう(私を含めた)読者の存在が「小説」だと思う。
どちらが良い悪いというものではなく。

同じく少年たち(アンファン・テリブル)の物語である「小さな王国」。谷崎潤一郎らしくない作品だが(文章に艶があんまりない)、ストーリーがとても上手な短編だ。
他にも、長野まゆみ、萩尾望都など、「少年愛の美学」(ただし萩尾望都は後に「残酷な神が支配する」でむしろ自己批判的に描いたが)に位置する作品としても「殉教」は楽しく読めると思う。
ぜひ読んでみてほしい。

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