三島由紀夫「曼陀羅物語」他一篇
曼陀羅物語
主に真言宗で用いられる、様々な仏たちの図であり、ユングに集合的無意識を気づかせた。
本題。
「むかしあるところに仏教の栄えてゐる王国があった。」―昔話風の語り出しからこの国の人々が「王の誕生日の祝ひに」唯一無二の曼陀羅を創ろうと切磋琢磨していることが明かされる。
その後は二流詩人の美しい抒情文が塗りたくられ―「ゆく雲の翳を悲しんでゐる邑々」だの「朝のひかりが最後の星のまたたきをふきけした灝気(筆者注:清々しい空気のこと)のやうなしののめ」だの―るも、結末は
「……一人一人の曼陀羅は寸分のちがひもなかつたのである。―そして、この日からこの国の平和は失はれた。顔を見合はすたびに、人々は屈辱と憤怒の発作におそはれた。―そして、昨日(「昨日」に強調点)、王さまは弑せられた」
残酷でやり場のない終わりに行き着くのだが、これは後の改作によるものであり、本来は別の結末が置かれていた。以下である。
(略)指さしながら、いつしかにふしぎなおもひがあふれそめた。(略)百千の曼陀羅は一つだつた(略)、夢のなかの夢である、現のなかの現なのだ。王さまの頬には涙がながれた、涙はことごとく真珠になつた。(略)」
分かるように、曼陀羅の一致は、ここではこの世ならぬこと/浪漫的な憧れの対象に留まっている。
ここで前者の著者名義が「三島由紀夫」、後者が「平岡公威」なのはそれ自体一つの寓話のようだ。戦前の自足した少年詩人平岡公威が、戦後の滑稽にして悲惨な小説家三島由紀夫に変化するその潮境として。
曼陀羅の正体は何か。芸術というのはどうだろうか。あるいは現代読者として、消費社会におけるファッションの寓意とも読める。人間の自我の比喩でもいい。
◯萩尾望都氏の著作を読んで、姉と妹の微妙な関係をうまく書くといつも感心する。
これを曼陀羅で説明してみる。
姉妹は、どれほど自分だけの特別な何かを追求しても、横にいる誰かと似ずにはおけない。血の距離の近さは裏返るとどちらかの個を食い潰し、片方の曼陀羅の鏡写しに―補償的存在に―貶めてしまう。◯
まとめ
筆者は、やはり戦前の作品の持つ幸福な統一より、戦後の作品の醜い引きつれに惹かれる。つまり前者の結末を支持する。読者諸氏はどうだろうか。
縄手事件
実際にあった事件を借りて書かれた作品で、三島の数少ない歴史小説(他は「花山院」と、書かれる予定だったという藤原定家くらいしか思いつかない)だが、まず読む意味はない。ページ数は少ないし、得意の美文も見受けられない。
一応当事件に触れておくと、明治政府発足間もなく、当時のイギリス公使ハリー・パークスが明治天皇に謁見するため京都御所へ赴く道中で攘夷志士らに襲撃される、だが後藤象二郎らの奮戦で事なきを得る。
このことを称え、後にエリザベス女王からはライオンの頭をかたどった柄の儀仗刀(※たぶんサーベルみたいな刀)が贈られたという。
完全な与太話。
三島の父、平岡梓は戦時中息子がのらくら小説執筆しているのが気に食わず、ときに原稿を破り捨てたとも聞く(ただし物資難の時代に貴重な原稿を確保し続けたのも事実だが)。
あまり作家の私生活に手を突っ込むのは嫌だが、あるいは本作は父親へのアリバイ作りだったのではないか。
というのは、本作のラスト「パークスは執拗な恐怖と共に或る子供じみた満足で足をぴくぴくと震はせた。何故なれば彼は人間の首といふものを初めて見たからである。」の下りに、どこかに西洋人を侮蔑する国粋主義が見え隠れしているためである。
筆者にはこれが三島の書きたかった結末とは思えない。戦中の氏の創作の目的はあくまで(主に日本的な)美の追求であり、そこに排外主義の入り込む余地はなかったように思う。
(分からない。あるいは本当に戦中、こうした国粋主義に三島はかぶれていたかもしれない)
だが、それなら他作品にも影響が伺えるはずである。それが見られない以上、ここには何らかの事情があったと見るべきではないかと思う。