「こうしてお前は彼女にフラれる」/ジュノ・ディアス&「子供時代」/リュドミラ・ウリツカヤ
ドミニカ共和国出身の作家ジュノ・ディアス「こうしてお前は彼女にフラれる」のあらすじ。
主人公のモテ男「ユニオール」は作中、必ず浮気をする。当然、出てくる女たちもそれに従って多い。
(筆者はルーマニアの作家ミルチャ・カルタレスクの「ぼくらが女性を愛する理由」―短編集で、表題作では女性たちの愛すべき特徴がずらりと並ぶ―を思い出した)
特に最後の短編では彼は「五十人の女の子と」浮気する。めちゃくちゃである。
「太陽と月と星々」―モテ男ユニオールが「マグダ」という「バーゲンライン(※ニュージャージー州)出身」の「背が低くて口が大きく、尻がデカくて、黒い髪はカールして」る女性と「浮気がばれたあと」関係修復を求めてサントドミンゴ―ドミニカ共和国の首都―に行く一部始終を書いた短編がおすすめされていて、筆者はそこから読んだ。
さて、これだけ読むと「モテ男のドタバタコメディ」―江戸の滑稽本のようなものが連想されるかもしれないのだが、作者の言を読むとその印象は変わる。
彼は前作の長編「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」(未読)の脇役らしいが、父にも母にも愛されることがなかった。
この背景を知って読むとき、そこにあるのは先回りして自傷することで本当のダメージを避けようとする、トラウマに捕われた人間、ユニオールの姿である。
ブコウスキー「パルプ」や町田康氏の諸作品、「罪と罰」のマルメラードフなども連想させる。彼らの滑稽さは表面的なもの、仮面である。その下にはいつも驚くほど多くのものが隠されている。
ついでにロシアの作家、リュドミラ・ウリツカヤの「子供時代」についても話しておこう。(どちらも新潮クレスト・ブックス所収)
カポーティを思わせる幼年期の幸福感が描かれている短編集。
個人的には目の見えないおじいさんが女の子の壊してしまった時計を直す「つぶやきおじいさん」がベスト。
ただしカポーティの喪失を内包したイノセントよりは、守られ生き抜いていく人々の生の気配がより強い。
またこの作品の時代背景は二次大戦終了まもなくで、大人たちは生活苦を背負っていることも事実である。