労働というゲームのルールの基盤をなす"当たり前という認知"
労働というゲームにはルールがある。そしてそのゲームのルールの基盤には人々の"当たり前という認知"がある。
現状自分がわかっている労働というゲームのルールについて記す。これを見る方のキャリア形成に何か役に立てば嬉しい。
今回言及したいゲームのルールは以下の二つだ。
スキル/労働量と年収には相関がない
社会的地位の重要性
スキル/労働量と年収には相関がない
これについて普段から実感を伴って同意してくださる方も多いかと思う。
「自分の方がスキルあるのに、なぜあいつの方が給料が良いのか!?」
「自分の方が働いているのに、なぜあいつの方が給料が良いのか!?」
こう思うことがある方も多いかと思う。
この"スキル/労働量と年収には相関がない"は事実だと思う。
これが起こる理由としては、給料を決める因子は"当たり前という認知"であるからだ。本来であれば、年収はその人が生む価値を多面的に評価して決められるべきだ。しかし、価値を評価するというのが難しいからこそ、"当たり前"というある種一つの物差しに従うことになるのだ。
つまり、「今までもこの業界の人にはこれぐらいお金を払ってきたから」「今までもこのポジションの人にはこれぐらいのお金を払ってきたから」と、年収の相場、つまり価値の相場が業界とポジションという変数によって決まっているのだ。
ここで生まれる問いとして、なぜ今の価値の相場が決まったのか?というものだ。相場ができたからにはその理由があるはずである。
私は"少し前の時代に業界が生んでいた金銭的な価値"であると思う。
まず"少し前"と言ったのは、実際の評価が価値の相場に反映されるのには時間がかかるからだ。つまり、今の価値の相場は、実際の業界が生む価値を正確に反映していないのだ。現状の価値の相場は、過去の業界が生む価値を表し、現在の業界が生む価値ではない点には多いに気をつけていただきたい。それなのに、現在価値相場が高い業界が今あまり価値を生んでいなかったとしても潤っているのは、人々の"当たり前という認知"による効能である。
この無相関を利用したキャリア形成
この"スキル/労働量と年収には相関がない"という事実に関して、悲観的に捉える方もいるだろうが、楽観的に捉えることも可能だ。
この無相関の原則に従うと、あまりスキルがなくそこまで働かなくても年収が高くなるケースがあるということになる。
もしあなたにとって年収というものの優先度が高いのであれば、転職をすれば良いと思う。年収だけを求めるならいくらでも良い職はあるのだ。
社会的地位の重要性
次のゲームのルールとして、"社会的地位の重要性"を挙げた。
まず私がこれについて考えた背景として、私自身がスタートアップとメガベンチャーの就職に迷っているからだ。
あなたは、メガベンチャーの方がスタートアップよりも社会的な地位も高く、その後の人生でキャリアアップがしやすいと考えるだろう。
これが真理であるかについて、自分で考えてみた。
まず結論から言うと、社会的地位は重要である。
ただ、何において重要であるかというのがもちろん重要だが、やりたいことをやるために重要であると考える。
もちろんやりたいことがあれば、それを業務としてやっている会社に就職すれば良い。しかしもし社会的な地位が高いと選択肢が圧倒的に広くなり、あなたが優先事項をもとに吟味して良い選択をすることができるのだ。
なぜこのような事態が起きるのか?
ここでも人々の"当たり前という認知"が効いてくる。
人は対象の人の社会的な地位やバックグランドをみて、その人の能力を判断することが多い。なぜなら能力とポジションを同一視する当たり前があるからだ。その人が本当にどのような能力を持っているかを実際に推し測るということはせず、ポジションとして同一視してしまっている。
これは人々が基本的に何も考えず、外部環境にうまく適合するように生きているからだ。会社という外部環境であったり、当たり前という社会で出回る言説という外部環境であったりだ。
(まあしかしこのような人が多いからこそ、会社という共同体が成り立っているとも言える。全員が模倣しない意思を持ち始めた場合、社会にどのような変化が生じるかというのは興味深い問いでもある。)
最後に
つまり、まとめると社会構造というものの実態は、人々の"当たり前という認知"の集合なのだ。つまり、社会構造を変えるというのは、人々の当たり前というに認知を変えることなのだ。(イーロンマスクがTwitterというSNSメディア事業を買収したのもこういうものが理由なのかもしれない。)
それではどうすればこれを変えることができるのだろうか。
一つの解がスタートアップなのかもしれない。世の中にないものを作り、それを人々に新たな価値として認識させる。このような当たり前のアップデートがある種、スタートアップが担う役割なのかもしれない。(スタートアップに就職するというのは、このような魅力も持っている。)
これは余談だが、全人類が現状の外部環境の情報をもとに思考を常にアップデートすることが可能であれば、当たり前などという認知は形成されず、常に現状に即した価値判断ができるのにと思ったりする。"当たり前に従う"というのは"思考を放棄する"ことと同値なのだ。
自戒の意味も込めて、ゲームルールを知り、周りの模倣ではなくよく思考した上でキャリア形成を進めることは重要であると思う。