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環境変容による歪み=現在社会における非合理性

ビジネスチャンスの考え方

最近、少しだけビジネスモデルというものがわかった気がする。

先日、大学の授業で、チームで事業を考え、それを聴衆の前でプレゼンするというプロジェクトを行った。そこで、業界の構造・課題の徹底的なリサーチ、ビジネスモデルの考案というものを経験でき、ビジネスの考え方が少しわかった気がした。

それは、「かつては合理的であったが、環境の変化によって、非合理的となった業界の歪みがあり、それを改めて合理的なものに修繕するところにビジネスチャンスがある」ということだ。

基本的には、前々からある問題というのは、既に多くの企業が挑戦し、その問題の解決は難しくどの企業も諦めてしまったか、その競争の中で勝ち残った数社が既に市場において独占的であるかのどちらかである。また、海外の事業を真似るなども成長に限度がある。

つまり、新規が参入する余地があるのは、業界の歪みが生じた瞬間だけなのだ。

そのような歪みをスタートアップが是正して、世の中を常にアップデートし続けることができているという点で、スタートアップエコシステムは社会に大きく貢献していると言える。

スタートアップにとってっは、その歪みを察知することが大事になってくるわけだが、それに必要なのは、以下の二つである。

  • 現在の社会構造・業界構造を解像度高く把握すること

  • 世の中で起きた変化にアンテナを張り、それが社会に及ぼす意味を考えること

後者で世の中で起きた変化と述べているが、具体的には以下のようなものがあると考えられる。

  • テクノロジーの進歩 (ex. 生成AI, Web3)

  • 法改正 (ex. インボイス制度の導入)

  • 人の価値観の変容 (ex. 流行に敏感なZ世代)

これらを解像度高く把握し続け、これらがもたらす業界の歪みを考えることが大切である。

日常への転用

この考え方はビジネスだけではなく、日常にも転用できると考える。日常で当たり前とされていることも、現代社会において実は当たり前ではなく、そこに合理性は既になくなっている可能性がある。

学校に行き、勉強することが当たり前とされてきた。学校という教育機関を設け、そこに先生という指導者を置き、未成年の人々の教養・思考力を向上させ、ひいては国力の増大・個人の幸福度の増強に繋げるという論理のもと、学校は合理的であった。しかし、テクノロジーの発達により、オンラインで学ぶことも十分可能となった。すると、そこには歪みが生まれており、わざわざ学校に行って先生に勉強を教わるということが実は非合理的である可能性もある。

よく「当たり前を疑え」という言葉の重要性は謳われるが、これはビジネスだけではなく、日常・人生においても重要である。

ただ、エッセンスを凝縮して「当たり前を疑え」というキャッチーな言葉としてまとめられるが、これだけだと本当に言いたいことの解像度が低いと思う。

だから私はより具体的に、「かつては合理的だったが、現在においては非合理的となっている事柄は数多くあるので、過去からの評価に縛られず、現在社会におけるその事柄の合理性を考えることが大事」と言いたい。


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