大言壮語(たわごと ねごと)
小麦一コイニクスが一デナリ
大麦三コイニクスも一デナリ
オリーブ油と葡萄酒を損なうな
知恵なき者は憎まれる
知恵がなく卑屈で傲慢な者は際限なく殺すからだ
私にとってのバカの定義はしなくていい苦労をさせる者
人生にはすべき苦労が山ほどあるのにしなくてもいい苦労をさせるのはバカの極み
父祖が荒地を耕し種を播いた
麦はたわわに実ったが収穫の要請に応じる者はいなかった
大学は出前授業や白熱教室などのパフォーマンスに忙しく
新聞はつまらない大発見やどっから見つけてきたと言いたくなる感動話を記事にするのに忙しく
役所はキャンペーンとかイベントとかゆるキャラご当地ヒーローで町おこしとか相も変わらぬお役所仕事に忙しく
皆それらのことに忙しくて麦を刈る暇などなかったからである
やがて麦は倒れ
鳥や野の獣に食い尽くされ
豊穣なる麦園は荒地に帰し
人は飢えて死に絶えた
悟るは易し 教えるは難し
誰でも知ってることをどう教えたらいいのか
口に甘く腹に苦いこの新しい酒を飲みなさい あなたが塩気を取り戻せるように
去年より今年が 今年より来年が ますます苦しい年となりますように 呪いを込めて万人に捧ぐ
今泣いてる人はもう泣かなくてよくなりますように
今笑ってる人は二度と笑えなくなりますように
今黙ってる人は言えるようになりますように
今言ってる人は口がきけなくなりますように
神は 働き者のところには仏の姿で現れて労をねぎらうが 怠け者のところには阿修羅の如き形相でやって来て 「強欲で怠惰な者よ あなたが望むものを与えよう」 そう言って死と呪いをもたらす 私が見た神は
髪は雪のように白く
顔は太陽のように輝き
目は燃え盛る火のようで
口からは剣が出ていた
あまりの恐ろしさに私は死んだようになった
神泣き叫んで怒りの鎚振り下ろすと私は粉々に砕け散った
神憐れんで欠片を集め組み上げられ 立って諸国民に述べ伝えるよう命じた
「私には無理です。私は怠けているのでしょうか」
「疲れたのなら休みなさい。疲れてる人がいたら休ませてあげなさい。勤勉な者は黙って働くが、強欲で怠惰な者は人を無能な怠け者と非難して働かせるから用心しなさい」
「あなたの声はなぜそんなに小さいのか」
「昔 人が裸を恥じて前を隠し、その罪を咎められるのを恐れて隠れたので、神からは人が見えなくなり、人からも神が見えなくなり、互いに見えなくなったからです。
私の声が聞きたければ人の話を聞きなさい。偉い人 立派な人の言うことばかりほいほいへーこらごもっともでございますと聞かないで、誰の言うことも分け隔てなく聞きなさい。そうすれば私の声を聞けるでしょう。私の言葉は最も小さき者に託されているからです」
「しかしあなたの言うことは支離滅裂です」
「怒り狂って泣き叫んでるのだから仕方がないのです」
文明は 神を恐れ憎んで数え切れぬ者のはらわたを貪り その血で塔を建てるようになって滅ぶ
黄金時代人は木の実や草の根を食べて穏やかに暮らしていた。彼らは完全な黄金律に支配され、自他は等価で何人いても一人だった。
白銀時代人は羊を見てその温和な性質を取り込み平和を維持した。しかしいつまでも穏やかなままではいられなかった。
やがて獅子「勇ましく狩る者」鷲「空から来て奪い去る者」といった性質を取り込んで荒々しく、蛇「忍び寄る者」蠍「猛毒を打つ者」といった性質を取り込んで悪く、偶像崇拝という盲信狂信によってより酷く深刻になっていった。人は、各々勝手に善悪を判断して法律を増やし、法に従っていればどんなことでもできるようになった。こうして人は、互いに吐き出す毒の洪水で窒息し、繰り返し滅びなければならなくなった。
同じことばかりしてると毒が溜まる
文明は毒だが、毒から逃げれば毒は毒のままで毒でないものまで毒になる。毒はむしろ取り込んで克服すべきものである。我々は永久に毒に倒れ続けなければならないのである。
家のルールを決めるのは親だ。ルールは強い者が作るものであり、弱い者が作っても誰も従わないからだ。したがって戒律も有力者が作る。彼等はまず目障りなものを禁じる。ただし目障りなのは人がやるからで、隠蔽する力もあるので自分達は隠れてやり、万一バレても開き直って地位に居座り、似たようなことをはるかにとんでもない規模で白昼堂々やる。次に働かなくても自分達に金が入ってくる戒律を作り、次に働くことなく裕福な自分達が守るのは容易で働きながら貧しい者が守るのは困難な戒律を作って差別化を図る。これにより更に彼等に金が集まり、神殿を建てるなど貧乏人には到底真似できない慈善事業で自らを神格化する。これにより彼等は莫大な富を手にする。彼等は自らの富と権力を増すために際限なく戒律を増やすのである。
戒律は 強きを助け弱きを挫くもの 有罪を無罪に無罪を有罪にするものである
戒律に従うことで幸福に暮らせるなら戒律に従わない人に怒りを覚えないはずだが、実際は嫌々従っているに過ぎず幸福に程遠いので、激しく敵愾心を燃やして時に残酷に殺害する。しかも「神の名の下に」それを行う。しかし罪なき者を殺されて神が喜ぶだろうか。喜ぶどころか途方もなく悲しむだろう。けれども彼等には耳がないので神の悲鳴は届かないのである。
戒律に従わない者を憎んではならない
戒律を増やす者をこそ憎め
自由を与えることはできない もとよりその人のものを与えようがないからだ
条件付きで自由を与える者には用心しなければならない 条件が際限なく厳しく重くなるからだ
偶像と崇拝は切り離せず 偶像は崇拝され 崇拝の対象は偶像である 「崇拝してはならない」 崇拝である以上 対象が神か悪魔か人かは関係なく結果は同じ
土下座で顔を隠すのは怒りと悲しみで見せられない顔になっているからで 土下座は最後通告である
頭は下げるものでなく下がるもの
神を愛してるなら土下座をしてはならない
愛しい我が子 愛しい母に土下座はしない