民主主義を実践することが、許せない暴力への抵抗だと思う
建物が破壊され続け、命が奪われ続け、日を追うごとに状況が悪化していき、悲しみがお腹の底に溜まり続ける苦しい毎日です。
イラクの時も、アフガンの時も、シリアの時も、香港の時も、パレスチナの時も、ミャンマーの時も、同じ苦しさを抱え続け消えないまま、ロシアのウクライナ軍事侵攻。
「またか・・・」と、さすがにガックリ落ち込んだ2月24日の夜、長崎の林田光弘くんから「広島・長崎緊急同時アクションをしないか」と相談があり、落としていた膝をなんとか立て、翌25日の夜に呼びかけをし、2月26日(土)11:02に、原爆ドーム前でサイレントスタンディングを実行した。
ステイトメントは以下。
私たちは、77年前に被爆した広島・長崎に暮らす市民です。
2月24日、ロシアはウクライナへの軍事攻撃を開始しました。プーチン大統領は、今回の軍事攻撃開始にあたって、核兵器使用の可能性を繰り返し述べています。また、ウクライナには15基の原発があり、ロシアはすでにチェルノブイリ原子力発電所を占拠したとの報道があります。私たちは、核兵器がもたらす破滅的な被害を知る被爆地の人間として、今回の争いが核による惨事を引き起こさないか憂慮しているとともに、核による脅威を振りかざすロシアに強く抗議します。
被爆から77年、未だ被爆者たちは原爆による健康被害とその不安に苦しみ続けています。被爆者たちはこうした自分達や家族が受けた苦しみから、核兵器を「人間として生きることも死ぬことも許さない」兵器であると訴えてきました。もう二度と、ヒロシマ・ナガサキをくり返してはなりません。
戦争で傷つくのはいつでも力のない市民です。私たちは、ロシアに国際法と国連憲章のもとに、市民の命や生活を脅かす全ての軍事行動を今すぐに停止することを求めます。そして、国際社会に軍事力ではなく、外交努力による平和を追求することを求めます。
NO MORE HIROSHIMA,
NO MORE NAGASAKI
NO MORE WAR
広島・長崎の有志一同
前夜の呼びかけにも関わらず60人もの人たちが、原爆ドーム前に共に立ってくれ、たくさんのメディアが取り上げてくれた。
戦禍のウクライナの人たちへ、ロシアで反戦の声を上げ弾圧される人たちへ、同じ想いでいる世界中の人たちの心強さにつながることを願った。CNNやBBCにも流れたそうだ。
原爆ドームの前に立って抗議をする私たちの姿をプーチン大統領は目にしただろうか。
「さすがにそんな非合理的な判断はしないでしょう」だなんて、なんで信じていたんだろう。
過去の戦争から、正義とか権力には注意が必要で、人は愚かな選択をしてしまうと学んでいたのに・・。 今回、曖昧な信頼で、世界の核抑止論は成り立ってきたこと。たった1人の為政者の判断が、世界を核危機に陥れることがわかった。核兵器は、核のスイッチを持つ人の暴走を抑止することはできない。
自分だってその愚かな人間の1人だと思うからこそ落ち込み、責任を感じる。
最近、ウクライナの為に何かをしたい、と相談に来る人たちにこう伝えている
「微力でも何かを、と動くことはとても大切だから、思うようにやるといいよ。ウクライナの為だけでなく、自分の為でもあることを自覚しながら。自分の胸の苦しさを軽くだけして終わらないようにね」
正義を騙った人殺しが行われる中で、似たような別の正義に乗っかってしまわないように、注意を払っていたい。
人は非合理な判断をするし、暴走することも、狂ってしまうこともある。
だからこそ、核兵器そのものを無くすことでその破滅的脅威を回避できると、今回の事で気づけた・・・、と思っていたら、
安倍前首相が、核兵器を自国の領土内に配備して共同運用する核共有への議論を示唆する発言をし、愕然。
核配備を容認する世論が高まりかねない。
こんな事を言う安倍前首相もプーチン大統領も、国民に選ばれている。
主権者は国民。私たちは日々、権力を監視し、その暴走を抑制しなければならない。
プーチン氏がロシアの実権を握って以降、権威主義にシフトし、政敵を投獄・弾圧。もう、自由で公正な選挙も報道もできていない。
まだ日本は、公正な選挙ができている。かろうじて民主主義が生きている。
けれども、国民の半分がその権利を捨てている・・・。
国家の為に人が人を殺すことを命令されることのない社会をつくる為に、
空爆の恐怖に怯え、寒さに震える日々を過ごすことのない社会を
家族の命を奪われ、家も仕事も無くし、庇護を受け続け尊厳を奪われる避難生活をさせない為に
「戦争をするな」と言うだけで逮捕されるような社会にしない為に
公権力に違和感を感じれば、集って一体何があったのか?聞きに行き、意見を伝える。 「国を安定するための仕事を、私たちの代わりにするのが仕事」の議員を、選挙できちんと選ぶ。自分の国の政治に目を向ける。
私たちの権利は私たちの手の中にあることを表明する為に、私は仲間たちと、選挙毎に「投票所はあっち」の矢印パネルを掲げて街を歩いている。
この「投票所はあっちプロジェクト」は、前回の衆院選で、全国15ヶ所に広がった。
自分の権利を大事に、誰もが自分らしく、不条理に抑圧をされず、いのちを奪われない。
そんな社会の実現のために、民主主義を実践することが、いまできる許せない暴力への抵抗のひとつだと思う。
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