『監視者たち』/洗練の、さらに洗練(映画感想文)
韓国映画といえば重厚で容赦のないノワール、・・・『新しき世界』(12)や『アシュラ』(16)のような映画をイメージしていたが、違った。程よいユーモアとスマートなカッコよさを備えた最高にスタイリッシュな映画もあったのね。
それが『監視者たち』(13)。
元ネタは香港映画『天使の眼、野獣の街』(07)でそれをリメイクしている。そちらは寡聞にして未見だがかなり忠実とのこと。しかし出ている役者のカッコよさとキュートな印象、キャラクターとのマッチングではこちらに分があるのではないかと思われる。
高度情報化社会となった韓国で、進化していく犯罪組織に対処するため設けられた警察内特殊組織のチームの物語。表向きは一般企業、しかし能力を見込まれスカウトされたものたちが集まっている。〈監視班〉はそのなかのひとつで、たとえ犯罪現場に出くわしても検挙はもちろん直接行動はできない。権限の横行を防ぐために、「監視」の超法規的手段は認められている彼らだが、与えられ許可された以外の職務は遂行できない。直接逮捕するのは同じ部署内の〈検挙班〉で〈監視班〉の報告に基づき〈検挙班〉の出動要請がなされる、・・・という設定がさりげなく物語のなかに織り込まれ展開のスピードを殺す過剰な説明は一切ない。
この説明のなさも洗練された印象を与えるのに一役買っている。
タイトル前のアヴァンタイトルからして始まった最初のカットから何が起こっているのか観ているものには判らない。それでいて何かが進行中であることは察しがつく。誰がいいやつで誰が悪いやつで、そこで起こっているのは本当なのかしら、と思っている間に最初の事件が描かれ、そしてタイトル。いやー、カッコいい。
出てくる悪いやつらも説明がないのに奥行きがある。
このあたり本当に上手いと思う。科白のやりとりを相当に練らないとここまで説明を排除できない。無駄がない。
これがハリウッド映画だと「悪党の誰それが」と書くとネタを割ってしまうと思うのだが、韓国映画なのできっと判るまい。『監視者たち』を観ようと思ったきっかけはチョン・ウソンが出ていたからだ。『アシュラ』で巨悪の手先として使い走りを命じられる刑事役だった。西島秀俊に似た顔と一度聞いたら忘れられない艶気のある声が魅力的なイケメン。その彼と劇中対峙するのがソル・ギョング。一見ただのおっさん、しかしカッコいい。映画の主役は並外れた記憶力を買われ〈監視班〉にスカウトされたキュートな女の子コッテジ(メンバーはみんなコードで呼ばれている。可愛らしい彼女は子豚と呼ばれるはめになる)で『監視者たち』は彼女の成長譚でもあるのだが、一方は典型的な男前、もう一方は一見うだつのあがらない中間管理職風の男、しかし実は並外れて頭のいい天才犯罪者と同じく頭のいい追う者との対決の物語でもある。
コッテジの記憶について言及するなかで〈監視班〉の班長が「非注意性盲目」という言葉を用いる。本当に見ていなかったのか、それとも見ていたけれども注意がそこにむいていなかったので自分では知らない・覚えてないと思っているだけなのか、という問い掛けがなされる。コッテジには、頭のなかに見た場面をすべてインプットし、その記憶をまるで現実のように脳内に再現できる能力がある。彼女はあたかも過去へトリップするかのようにその自分の脳内の過去へ再び舞い戻り、そこで「思い出すべき事柄」へ注意をむけ探す(思い出す)ことが出来るのだが、このあたりの見せ方も上手くスリリングだ。
他映画やマンガなどかからの引用もそれなりにありそうにも思えるが、ここまで上手く取り入れカッコよくまとめられてしまうと、観客の脳はいちいち細かいことにこだわらなくなり、ただただ映像的にもその奥行としてもカッコいい映像に、うひゃー、ってなる。作品と観る主体の相性というものは必ずあると思うが、僕にとっては最高にカッコいい映画なのだった。短期間でいまのところ二度も観た。二度目も飽きることなく観たし二度目だからこその発見もあった。
〈監視班〉のチームのメンバーもいい。
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