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『宇宙戦争』/パーフェクトな男が、失敗と逡巡ばかりの稀有な一作(映画感想文)

『宇宙戦争』(05)は、02年の『マイノリティ・リポート』に続きトム・クルーズがスピルバーグ監督と組んだ二度目の作品。
驚かされるのは企画から公開までの期間がわずか1年ということ。もともとスピルバーグはクルーズ主演で太平洋戦争中の捕虜収容所を主題とした作品を撮ろうとしていたのだが、先に同様企画の別作品が公開され急遽用意された別の企画だったという。

とはいうものの、クルーズ主演作品としてこのどたばたがなくても、スピルバーグの頭の中には「いつかウェルズを原作とする『宇宙戦争』を撮りたい」という構想があったのではないか。少なくとも脚本がすでに手元にあった可能性は高い、と僕はにらんでいる。
『マイノリティ・リポート』について、「これまでクルーズが主演の映画は多くつくられているが本格的なSF作品はない」というところでスピルバーグがこの企画を推したのでは? と個人的に思っているのだが、それとは真逆の、父親としても人間としてもけっして出来がいいとはいえない市井のブルーワーカーをスピルバーグがクルーズに演じさせようとしたのはなぜなのだろう。着想としてはおもしろいし、本人が「チャレンジングだ」と希望した可能性ももちろんある。『マイノリティ』同様、これまでクルーズが演じてこなかったタイプの役柄を彼に割り当てる、というスピルバーグなりの野心というか茶目っ気のようなものがここで表出した可能性も捨てきれない。

これまでに何度も『宇宙戦争』を観ているが、今回もやはり、「クルーズはアメリカの木村拓哉だ」もとい、「キムタクは日本のクルーズだな(位置づけが)」と思ってしまった。
決まったスタイルがあり、よくも悪くもそれを払拭できない(ある意味芝居が下手)と世間では思われている、しかし人気のある役者がいて、その彼が普段演じているのとは真逆のキャラクターを演じたときに、不意に予想と異なる形で傑作が生まれることがある、…と、ややこしいけどそういうことを『宇宙戦争』を観る度に感じちゃうのだ。そして天下のキムタクについては、もちろんこのとき想起していたのは最初の2時間ドラマ版『教場』である。

スピルバーグはやはり狂人に違いない。
ここまで怖い映画にする必要があったのだろうか。とにかく怖い。「人が逃げる」シチュエーションを撮らせたら右に出るものがいないのは周知だが、そしてクルーズの走る姿はなんとも特徴的で(特に手が)絵になるのだが、そのクルーズでさえ腰を抜かして、体裁など気にせず、この映画ではただあたふたと逃げ惑う。ダコタ・ファニング演じる娘は常に度を越したヒステリックな叫び声を(前半では上げ続け)後半に入ると、もう心が壊れているのか死んだ目をして何もいわない。声を上げることさえできない。演出に容赦はなく、これまでも「見たいものはちゃんと見せてあげるよ。おじさんも見たいからね」といった姿勢を貫いてきた監督は、冒頭から人が焼かれて一瞬のうちに塵になる場面をアップで見せ、クルーズは人間だったものの灰を全身に浴びたまま放心状態で家に帰り着く。
音の使い方、そして遠景と近景の構造、バランスが悪魔のごとき巧みさで世界の終わりをわれわれの耳と目に、そして心に焼き付ける。
これまで異星人を常にフレンドリーな対象として描いてきたスピルバーグがここにきて一転、恐怖をこれ以上なく描いたのには理由がある。
そう、01年9月11日の同時多発テロ事件の際に事件に直面した人々の想いや、当時の状況を反映して映画という形にして残す(か封印するか。あるいは恐怖を世間や後世に伝えるか)というねらいがあったのだ。
想像しえなかった不意の襲来に日常を壊された人間がどうなるか。
巨大で脅威となる恐怖に見舞われた人間がどうふるまうべきなのか。

スピルバーグが本当にスゴいのはそこに啓蒙的で人道的な解答を用意していないことだ。クルーズは確かに、離婚した子どもたちとの逃避行の間に決断を迫られ、ときどきに答えを出しはするが、それが本当に正しいかといえば絶対にそうとはいえない。むしろ逆に「間違っているとは思うが、でもこうするしかなかっただろう」という声が遠くからこだまのように届いてくる。息子を行かすべきではなかった、頭のおかしくなったオグルビーに対してああすることはなかった、…等。しかし誰もそれにノーを突きつけることはできない。糾弾はできない。

この映画が大変特殊でしかし重要な価値を持っているのは、これまでも以降も、クルーズの出演する映画においては「クルーズのすることに間違いはなかった」のに、『宇宙戦争』だけは違う点だ。イーサン・ハントの決断は常に正しい。しかし、レイの決断は誤りと後悔だらけだ。しかしそこがいい。無茶苦茶素晴らしい。まるで、この映画において悩み、苦しむ姿を見せるそのためだけに、これまでずっとパーフェクトな姿勢を見せ、完全な人間を装ってでもきたのかと思えるほどに。
それほどクルーズは、普通の、市井の人間を完璧に演じきっている(実生活では奇しくも同年、「オプラ・ウィンフリー・ショウ」でソファの上で飛び跳ねる常軌を逸した行動を見せてしまう。僕にしてみれば、他人様の結婚や離婚や不倫に口出しするのは無作法だと判っちゃいるが、ニコール様とたとえどんな理由があれ離婚した01年からもう許されないくらいオトコとして選択を誤っているとは思うがなっ。この時期は実は失敗だらけなのだ、トム、…。)。

『宇宙戦争』は、クルーズの素晴らしいダメっぷりと、現実にはいない息子に対し父親としてみせる姿と、そして常軌を逸した恐怖を描くスピルバーグの並々ならぬ力量と狂気が再確認できる素晴らしい映画だ。
公開当時、「オチがなー、唐突すぎるよ」「盛り上がらないぜ」という悪評が出たのを覚えているが、そんなこといっても仕方がない。だってこのオチは原作通りであり、そして作り手たちにしてみれば「この有名な作品の結末はご存じでしょう」の筈なのだから。オチに文句をいうのは教養のなさの表れでしょう。

※いったんこれにて「私的トム・クルーズ祭り」は閉幕とさせていただきます、…。「コラテラル」がぜんぜん話題にならなくて、ちょっとヘコみました(泣
多分、今度の「M:I」は観にいくと思うので、そのときはまた、…書くかも。よければご一読を。
ちなみにこれまでのクルーズ映画で好きなのは、『ザ・エージェント』と『アウトロー』なのです。好きすぎてよう触れられなかった、…わけではありませんが。いつか書きます、多分。『ア・フュー・グッド・メン』も傑作ですね。

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