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『その鼓動に耳をあてよ』/矜持と、歯止めのかからない問題(映画感想文)

『その鼓動に耳をあてよ』(24)は東海テレビ製作のドキュメンタリー。プロデューサーは阿武野勝彦と圡方宏史。そう『さよならテレビ』(だけではないが)の二人である。今回の取材対象は名古屋掖済会病院。1948年開院の緊急病院。
もともとは船員を対象とした病院だったが、高度経済成長期に急増した自動車事故や工場での作業事故に対応するため1978年東海地方初のER(救命救急センター)を開設。診療科は36科、病床数は602。そして年間の救急車受け入れ台数は1万台

この名古屋掖済会病院に緊急で運び込まれてくる患者はさまざまだ。
われわれの想定を軽く超えた範囲の傷病者を、15名の救急医と30名の看護師・救命士で受け入れている。
耳に虫が入った、鼻にどんぐりを入れてしまい抜けない、といった子どもから、工事現場での事故と思われる脚に太い釘の刺さった男性、薬品の過剰摂取で自殺を図った人。目をそむけたくなる切断の傷を指に負った人もいて、そういう事故が地域柄多いのだとか。心臓の病で運ばれてきた男性をもう助けられないと、老妻に告げる場面もある。

『さよならテレビ』同様、作為的なナレーションは一切ない
制作者たちの意図がはたらいているとすれば、カメラが捉える医師の人選だろうか。
映画は、22年11月にテレビで放送された「はだかのER 救命緊急の砦2021‐22」をもとにしている。それを編集しなおしたものだが、オンエア版にはナレーションもあったという。
テレビ版の肝は「断らない」を掲げる医師たちがコロナの感染第5波で逼迫以上の状態に追い込まれたことだった。ナレーションのカットは、圡方いうところの「『断らない救急』が『断った』という分かりやすい話に収斂したテレビ版」を「ナレーションをなくすことで分かりにくくする」ことに繋がっている。
多くの人が見るテレビに対し、能動的に選択し劇場へくる人を制作者たちは相当信用しているのだと思う。賭けているのかもしれないが、そこに矜持を感じる。自分たちの提示している素材が、事実が、それだけ価値のあるものであり、それぞれに考えてほしいものだとの。
ナレーションは、内容を単純化して思考の方向を決めてくれる親切なガイドになるが、いやいや、そんな容易い味付けで済ませていいネタではない。こうですよ、と見せられるだけでは、不遜ないい方になるが「勿体ない」のだ。発見と、自分なりに是非を問う出来事が劇中では連続して起こる。

物語の単純化を避けたからといって、現場の人々がプライドを賭けて、受け入れ拒否された患者の最後の砦として立ち働いている事実はまったく揺らがない

『その鼓動』には決着もそれに伴うカタルシスもない(決着のなさでは、『さよならテレビ』に優るものはないが)。ただわれわれの生活する社会と地続きのところにこの問題がある、という重たい事実だけが観たあとに残る
カメラがとらえる中心人物のひとり、ベテラン医員の蜂谷康二はいう。
「最初に救急をやろうと決めたのは『何でもやる』に興味があったから。だがそのとき想定していた『何でも』は病気やケガの何でもだった。だが現実は違う、ここには『社会の何でも』があった」と。
映画は、支払い拒否、治療を受けながらも逃げる患者といった貧困の問題にも触れる。事務方は多少困り顔で「でも先生たちが治療なさるというかぎりこちらも受け入れざるを得ないですよね」という。劇中、ホームレスの患者も数名登場し、生々しい言葉を吐く。
なんと大変な仕事か、という安易な感想ではなく、痛感するのは、いかに自分たちはその表面上のことしか知らないのか、だ。無論、なにもかもをわがこととして知る必要はないのだが、医療現場の問題は遠い対岸のことではない。(以前、妻が救急車に乗ることがあったので身近なこととしてせまってくる。あのとき、救急車の隊員たちは運び込む病院を探してくれていた。すぐに搬送先は決まったが、あのまま時間を経ることになれば、…と思うとぞっとする)。

若い研修医(櫻木佑)が登場し、この先に進む科を考えている。自分としては救急に進みたい、というとカメラは「なぜ?」と問う。答えはシンプルで「カッコいいからですかね」だった。ややはにかみながら答えるその様の凛々しさに胸を打たれる。
最近は格好をつける人が少なくなったのだ。楽だとか、得をするとかばかりが優先され、自分の私利にだけとらわれている。体裁を気にすることは、自分に世間並の教養を身に着けさせることでもあったのだと思う。

(撮影当時はセンター長だった)北川氏が「専門医と比べて救急科の医師たちは下に見られている」といった旨のことを述べたのも根深い問題のひとつだ。手に負えないとなれば救急の彼らは専門医に頼ることも手を借りることもあるが、だからといってそれは彼らの能力の不足を意味しない。間口の広さと対応力は、相当に特殊な力が求められると思うのだが。

今回も、日々の暮らしのそう遠くないところにある、容易に解決は図れそうにない(それゆえ素知らぬ顔をしていられるような)問題を「あなたも知らないふりをしていませんか」と突き付けられた印象。観終わったあとで、少しだけ社会の見方が変わる。同時に、仕事をして社会の一部として機能していられることに、ささやかながら喜びと意義が感じられる
こういったドキュメンタリーを子どもの頃の自分は見ることがなかった。そのことを不思議には思わない。反対に、いつしか好んで選び、興味を持ってみるようになったことの方が正直にいえば不思議である。なぜなのか。企業に入り、そこでパーツとして働き、微力であっても人様から感謝されることがあり、自分が多くの人のなかで生かされる、何者でもないことに気付いたからかもしれない。個人の願望や私欲など、どれほどのものでもない。SNSで声高に主張することなど、ただの自己満足でしかない。

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