『アナザーラウンド』/人生は複雑だが悪いものではない(映画感想文)
『アナザーラウンド』(20)を観た。
マーティン、ニコライ、トミー、ピーターの4人は同じ高校に勤める教師。
受け持つ生徒たちは大学受験を控えているが、授業中もスマホを取り出しヤル気のかけらもみられない。そんな生徒相手なので彼ら教師の対応も消極的で投げやり。悪循環だ。
研究職に就こうと論文を書いていたこともあるマーティンは、かつては教員たちの憧れでもあった。しかし結婚して子どもができ、無理に夢を追うことをやめたいまは生活のために仕事をこなすだけ。妻も同様に夜勤の多い仕事に就いて二人はすれ違いの毎日だ、・・・。
そんな消極的な日々を無気力に引き受けていたある日、ニコライが提案を持ちかける。「人間は血中のアルコール濃度が0.05%足りない状態で生まれてきている」というノルウェーの哲学者スコルドゥールの言葉を引き合いにだし、その0.05%のアルコールを常に補充し続けて生活すれば、積極的で充実した日々が送れるはずだ、と。そして彼らは秘かにお酒を飲んだ状態で職場にでむき授業を行うようになる。やがて、・・・。
こうやって簡単にあらすじを書けば達者な映画ファンなら「ああ、じゃあ展開はこうなって、こうなって、結末はこうだな」と思うだろう。アモラルな実験は最初こそ成功し生徒にも受けるようになり、万事上手くいったかと思ったところで予期せぬ事態が(観客にとっては予想通りの危機が)起こって、・・・と。アメリカのスタジオで撮られていたならそうなっていたかもしれない。デンマーク出身のトマス・ヴィンターベア監督は、しかし一味違う。観客の予想をはるかに超えることはないが、胸に去来する想いは予想と異なる。
主人公のマーティンを演じるのは北欧の至宝と呼ばれるマッツ・ミケルセン。『007カジノ・ロワイヤル』(06)のル・シッフルだ。13年からはTVシリーズであのハンニバル・レクターもやっている。ただ本当はコワい役だけではなく、コミカルな人物もキテレツな役も引き受け演じ切る幅広い役者だ(『アダムズ・アップル』(05)とか)。
今回彼が演じてるのは等身大のひとりの男。家族に対する想いも、さびしさも、消極的な一面も、リアルで生々しい。
共感して「実験」に手を染める4人はそれぞれ悩みを抱えている。結婚しているものは結婚しているがゆえの、独り身のものは独り身ゆえの、悩みを抱え、それが少しも誇張された感じがしない。人を的確にデッサンすればそこには必ず悩みがつきまとう。生きることとは問題を抱えることだ、といわんがばかりだが、そんな彼らの日々にもちょっとした「いいこと」が起こる。それもまた、人生とは「たまに、いいことが起こるものなのだ」といわんがばかりの手触りなのだ。
そんな人生を少しだけハッピーにする装置として、0.05%のアルコールが日常に投下される。
素直に考えればそんなことが上手くいくわけがない。上手くいってほしい、と多くの人は望むだろうが、そうはならない。お酒は結局は、お酒じゃないか、・・・というところに落ち着かないのが、この映画のスゴさである。「お酒はやっぱり適度にたしなむ程度にしないと」といった教科書的な結末でも、「やっぱり酒はいいよね!みんな、これでハッピーになれるぞ」的な結末でもない。(ここまで書いてもネタバレにはならないと思う。)予想を越える破天荒な展開はない。あっとも驚かない。ただこの映画は、人生とは複雑だが悪いものではない、ということを鮮やかに気付かせてくれる。
デンマークでは16歳から飲酒が認められているらしく、劇中の科白でもあるように「だれも彼もが飲んだくれている」国なのだそうだ。日本とはお酒に関する距離の取り方はちょっと違うかもしれない。
献辞で、この作品はアイダという女性に捧げられている。あとで知ったのだがそれは監督の19歳になる娘のことで、作品に出演もする予定であった彼女はクランクインの数日後、出番が訪れる前に事故で亡くなったのだった。撮影に使われた学校は彼女の通っていたスクールで、登場する学生はアイダの実際のクラスメートたちなのだとか。脚本段階で、父親である監督にいろいろアドバイスすることもあったそうだ。こういった情報は本来なら映画の中身や出来とは一切関係ない、・・・と僕は思う派なのだが、この映画についてはちょっと違って、この事実を知っておく意味もあると思う。親しいとても大切な人物を失くしたばかりの人物が渾身の力を振り絞り、「人生とは複雑だが悪いものではない」というメッセージを送ってくるのだから。