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『密輸1970』/韓国の70年代、…?(映画感想文)

タイトル通り、『密輸1970』(24)は1970年の韓国の漁村が舞台。
男たちは船で漁に出ているが村は貧しく、それだけでは十分な稼ぎが得られない。女も海女として沖へ出て、貝などを獲り生計を立てている。だが70年代は韓国にとって経済発展とともに工業化が進んだ時期でもあり、彼女たちの村に近い地域にも続々と化学工場が作られている。工場から流される廃棄物で海は汚染され、貝は死んで腐り、稼ぎは上がったりだ。
抗議しようにも世間は経済発展まっしぐら、貧村の貧しい漁民の声などどこにも届かない。
都会では、経済発展にともない人びとの物欲が新たな段階へと進んでいた。国産の遅れた物品に満足できず優れた海外製品を求めるようになる。だが輸入品には高い関税が課される。そこに目を付けた悪党たちは、運び込んだ物資を沖へ投下、税関の目を盗み裏のルートで安く捌いて儲けようとしていた。
その沖へ沈められた物品の回収を、生活を守るために海女たちが請け負ったことから事件が始まる、…。

というのがあらすじ。
監督はリュ・スンワン。21年に『モガデイッシュ脱出までの14日間』を撮った監督だが、それ以前にも『生き残るための3つの取引』(10)や『ベテラン』(15)を監督している。韓国映画を観る人にはよく知られた監督なのだ。
物語はめちゃくちゃテンポがよく、展開も爽快。こうなればおもしろい、の少しだけ斜め上を常に行き、見せ方もケレンや衒いがなくきっぱりと潔い。エンタメの見本のような作品。
だが、僕は個人的にはややあっさりし過ぎ、というか口当たりがよすぎてやや物足りなかった。展開やスケールは十分なのだが、もっとエモーショナルなもの、…どよんと暗く澱んだ部分があってもいいと思うのだ。もちろん映画のすべてにそれを求めているわけではなく、あくまで個人的な好みに過ぎないのだが。やや上手く運び過ぎる
70年代のパワフルでサイケで、文明が新たに開けて行く岐路の時代の描かれ方は文句なくおもしろい。躊躇せず一歩踏み出す勇気があれば昨日とまったく違う明日が開けて行く。幸運をつかみ取れるかどうかは自分の覚悟次第。そういった時代の力強さが感じられる。
個人的には物足りない、といいながらも「『密輸1970』どう?」と人に訊かれたら、いいよ、と僕は勧めるだろう。

なぜか日本ではまたしても昭和ブームだ。実際に経験した人もそうでない以降の人も、みんな昭和が好きだなー、と思う。
昭和を支持する層と一口にいってもそれはいくつかに分かれ、特に目立つのは70年の大阪万博までの高度経済成長期を支持する人たちと、もうひとつ、80年代の空虚でポップと当時は思われながらも大変豊穣なサブカルチャーが多くの分野において台頭した時代を愛する人たちではないか。
69年生まれで思春期と80年代が重なる僕は音楽も文学も時代の空気も、この後者に偏愛を覚えている。同世代の多くの人たちがきっと同様の郷愁と憧憬を抱いているだろうと思う。
だからなのか。そんな意識もあり「そうだよなー、この時代はおもしろいよなー」と『密輸1970』を観て楽しんでいたのだが、はたと「いや、それは違うのでは」と思ってしまった。
僕が知っているのは日本の70年代であり、それを知らず重ねて観ていたが、いやいや、映画の舞台は韓国の70年代だ。劇中、常にハングル語の過剰にエモーショナルでパワーのある音楽が流れ、そしてファッションも相当イケているのだが、それは日本の〈昭和〉のイメージであり、お隣の国のこの時代もそうだったのか? 韓国の70年代はいったいどんな時代だったのか、ということが途中から気になり、映画にのめり込みきれなくなってしまった。
自分の不勉強ゆえの確信のなさもある。

1970年の韓国の大統領は朴正煕。娘はのちに女性大統領となる朴槿恵。
朴正煕は、『KCIA南山の部長たち』(20)に登場するパク大統領のモデルとなった人物で、劇中でも史実でも、軍事クーデターを起こし大統領になっている。映画ではKCIA(大韓民国中央情報部)を使い反対派を弾圧した独裁者として描かれているが、実際のところはどうなのか。
朝鮮戦争後、韓国では初代大統領李承晩の独裁的な政治に対し民主化の動きが強まり、60年4月には学生を中心に四月革命が起こる。李承晩政権が倒れたあとの翌61年に、朴正煕は軍事クーデターを起こし、北朝鮮と対立するなかで政権を発足。経済開発を優先しながら軍事独裁政治を行い、国民を弾圧しつつも一定の経済成長を実現させるという離れ業をやってのける。
彼の真意や思い描いたビジョンの正確な像など、歴史に不勉強な僕には語る資格もないのだが、どうやらアメリカや日本に近づきその力を借りることで国をある方向へむかわせようとしていたのではないか。それが米国の威光を借りた永続的な独裁だったのか、真の民主化・先進国化だったのか、の判断により彼への評価は大きく変わる。
朴正煕の就任時期から後30年に亘って高度経済成長が実現されたのは事実だが(いわゆる『漢江の奇跡』)、憲法改正で大統領任期や重任制限を撤廃し永久に権力を保持しようとしたこともまた事実なのだろう。スパイを用い政敵や思想に同調しないものを弾圧し死なせたともいわれている。
朴正煕が大統領を務めたこの70年という時代は、経済発展が著しく、同時に独裁的な政治弾圧がはびこってもいた時代なのだ。
なるほど、そう思って『密輸1970』を振り返ると、登場する人物たちは、役人は確かに汚く高圧的で、そして市井の人々は労働者としての意地と熱意、お上に対する反発的な力を持っている。
まるでフィクションの世界のようにドラマが大きく動くエモーショナルな情動の装置が、現実においてちゃんと備わっていたというわけだ。

韓国映画を観ていると、その題材の豊富さに羨ましくなる。
国が成立するまでの過程ひとつをとってもそうだし、北朝鮮との緊張もそうだ。だがそれはあくまで「フィクションのネタ」としての話だ。至近過去には混乱した歴史が生々しくあり、いまも生活のそばには世界を揺さぶる緊張がある、という状況は日本に住む身としては想像することさえ難しい。
現実に起こった事件を題材に優れたエンタメ作品にしてしまう、という点ではアメリカも同様に長けている。日本の映画産業(か観客の好み)は、何に対する忖度なのか、事実を作品化して糾弾することを嫌う民族の性根なのか、この点についてはずいぶん立ち遅れていると思う。ドキュメンタリー作品や『winny』のように実際の事件や出来事を映画化し、その是非を観客に委ねる作品群が最近になってようやく作られるようになってきたが、…。現実と、作り事との間にはっきりとした線引きをするのは日本人のメンタリティなのだろうか。
日本人が糾弾や弾圧といった苦しい歴史をネタに、人びとの心意気でそれを乗り越えポップなエンタメ大作にして楽しむまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。本当は作り手にはもうその準備はできている。覚悟もある。だが、観客として受け入れる土壌は未成熟だし、あるいは未成熟なままかもしれない
そう思うと、やっぱり『密輸1970』の軽いノリがちょっと羨ましい。

最後に余談をひとつだけ。
1980年、韓国の主婦の間で象印マホービンの電気炊飯器が大流行する。83年1月、日韓交流を目的に下関を訪問した釜山の主婦団体が、象印の炊飯器を大量に購入して韓国に持ち込もうとしたのだが、その姿をある新聞が記事にし、それが発端となり外国為替管理法違反で検挙される事件が発生。そのことを知って激怒した全斗煥大統領が、韓国製の電気炊飯器を開発するよう指示したという逸話があるそうだ。
10年経っても日本製品への評価は変わらず、それが契機となって家電製品への取り組みが進んだ、というこの話は『密輸1970』によりリアリティを加えるが、…それにしても某新聞よ。いったい何がしたかったのか。

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