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『暗殺』/美しい(眼鏡の)女狙撃手(映画感想文)

『暗殺』(15)の監督はチェ・ドンフン。主演はチョン・ジヒョン。イ・ジョンジェも出ている。
1930年代日本統治下にある朝鮮半島。独立をかけてさまざまな組織が抗日の戦いを続けるがまとまりがなく、独立組織同士の覇権争いで足の引っ張り合いに陥ることもある。朝鮮人のなかには「やがて日本に支配されるに違いない。そのときのために少しでも地位をよくしておきたい」と日本政府に取り入る売国の徒もいる。また元独立組織の勇猛だった戦士が逮捕後、日本軍に懐柔され、密偵として暗躍してもいる。
その最中、独立組織の党首がある暗殺計画を起案。標的は、3000人を超える民間人を殺害した駐屯軍司令官の川口守と、新日派の資本家カン・イグク。二人を暗殺する実行部隊に選ばれたのは、射撃の腕と速さから“速射砲”の異名を持つチュと爆弾職人のドクサム。そして隊長に選ばれたのは、若き美しき女性狙撃手アン・オギュン、・・・。

冷徹に見えて内面に抑し殺したエモーショナルな機微を隠し持つ主人公を演じるのはチョン・ジヒョン。かつて『猟奇的な彼女』(01)でコケットリーな女の子を演じた面影はもうない。時節柄、レンズにひびの入った眼鏡を買い替えることもできずに掛け続け、スナイパーなのに近眼!? というフェティシズムも判る人には判る。
他にも味方なのか本当は裏切っているのかよく判らない胡乱で魅力的な人物が多数登場。残念ながら日本人は当然非道も非道の冷徹な悪役として描かれるが、狙撃対象が日本人だけでなく、親日派の売国奴でもあることから、映画が単に抗日だけで作られていないことは判る。そこは色眼鏡で見ず、単純にアクション大作として観てほしい。

実はここ連日稼業が思ったより忙しくてちょっとまいっていた。ようやく一息つける時間ができて「これは映画を観るしかない」と思い、そこで「では何を」と考え真っ先に浮かんだのがこの『暗殺』。カタルシスの連続する最も優れた娯楽装置として白羽の矢を立てたのが、この作品。観返してみて納得。この映画、僕にとって好きなシーンだけでできている。
眼鏡の女性スナイパーという設定だけでも胸アツなのだが、作戦計画のために集められた腕に覚えのあるゴロツキ、裏切り、転向、・・・。最初の暗殺計画、そして第二の暗殺計画。副旋律として、川口守の息子(こいつも悪いヤツで、クールな無表情のまま平気で人を、・・・)とカンの娘との政略結婚のエピソードがクライマックスに絡み、そのカンの娘がまた実は、・・・と脚本の仕掛けも盛りだくさん。
もうひとつ、本筋と離れたところから登場する謎の殺し屋がいるのだが、劇中で最も絵空事めいた設定のこの人物には実在のモデルがあるのだとか。当時上海を中心に暗躍した韓国人の謎の殺し屋がいたというのだ。

アクション映画がどれだけ観客をハラハラドキドキさせるかは葛藤や撞着の作りの上手さにある。撃たなければならないのに撃てなくなる、行かなければならないのになぜか行けない、・・・そのリアリティというか説得力が作り手の腕の見せ所であり誠意でもある。あれだけ好きなトム・クルーズのかのシリーズから心が離れてしまったのは、四作目以降がアクションのためのアクションに陥ったからであり、見せ場を支える説得力を失ったから。別にその程度の理由でブルジュ・ハリファの壁に貼り付く必要はないではないか、・・・。

もう何度目の観賞になるのか判らないのだが、自分でも驚いたのは、これまでは当然アン・オギュンを主人公だと思いみていた自分が、今回はなぜか気が付くと独立組織の隊長ヨムを中心に観ていた
大変な切れ者で、残酷で感情的な一面と戦略にかけては長けた利発さを見せるこの男は(はやい時点で劇中でも明かされるのデネタバレに非ず)時代に翻弄されるように自身の身の置き所を変えている。しかし、変わり身がはやいとか、すぐに裏切る、といった印象はなく、狡賢いには違いないが、ただそれだけの言葉で片付けられない、いわば数奇な半島の運命の体現者でもある。演じるのはイ・ジョンジェ。『新しき世界』の主人公を演じた人物で、『暗殺』で見せる顔と『新しき世界』で演じた役の見せる顔ではまったく別人。
きっと今回は、ひとりの人物にフォーカスするより時代の動乱が観賞者である僕の胸にぐっときたからこそ、よりヨム隊長が際立って見えたのだと思う。
人物それぞれの背景に深みがあり、それがそれぞれの思想哲学にしっかりコミットしているがゆえにこういった観方になったのだと思うと、映画には小説と違う多面性があるな、と痛感する。
もちろん、そういった背景等抜きにして、ただ背景の精緻さと人物たちの強靭なアクションの融合による美しさを楽しむことも可能。

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