美とは何か ダイアモンド編
哲学を学んだことはあるが、
美学を学んだことはないので、
以下は自分で一から考えた素人談義である。
人間存在にとって、美とは何か。
それには広い意味での
エロース(生命への欲動)
タナトス(死と消滅への欲動)
に基づくと考える。
エロースを最も狭く捉えると、
性的に魅力を感じ、
共に新しい生命を育みたいという欲動となる。
あらゆる生き物にその欲動があり、
そのために、この星は雌雄がエロースを競い合う百花繚乱の世界となっている。
生命世界が美しいのは、
エロースの祝祭が日々続いているからなのだ。
広い意味でエロースを捉えると、
あらゆる種類の「憧憬の対象」とひとつになりたいという欲動となる。
それには、
純粋なイデア、
永遠の今ここにおける光、
神や仏教の空(くう)などと
不二(非二元)になることも含む。
ここまでくると、それは、タナトスとの境界領域となってしまう。
空(くう)と不二になりたいという欲動は、欲動というより、発心と呼ばれる。
身心脱落し、
限りなき光に南無(ゆだねる)し、
解脱して二度と生命世界に戻ってこないことを意味する。
解体し、消滅すること→死への欲動と一枚ではなかろうか。
いきなり卑近な話に戻して終わろう。
ダイアモンドは宝石の中で、なぜ、最も美しいとされるのか。
私はダイアモンドを恋人に贈るため、一緒に専門店に選びにいったことがある。
店主はルーペを取り出し、
こちらのダイアモンドは何故、高いのか。
いかに中心まで何の罅割れも、障碍もなく、完全に透き通っているかを、説明した。
眼科で働いていた恋人は、ルーペを手にとると、ダイアモンドを覗きこんだ。
店主は驚いた顔をした。
「ご職業は何ですか」
「眼科です。なぜですか?」
「ルーペの焦点を合わせるのが、素人の仕草でなく、一瞬だったので。眼科と聞いて納得しました」
私もルーペでそのダイアモンドを覗きこんだ。
恋人よりは時間がかかったが、焦点が合うと、すーっと意識が遠のくような透明感があった。
エロースとタナトスが一枚になり、永遠の光の中に吸い込まれるようだった。
人がダイアモンドの美を求めるのは、この超越的な意識の質を、物質の形に閉じ込めたものこそ、
ダイアモンドだからだと理解した。