魂の螺旋ダンス(43)プロセスワークと悪人正機
・ プロセス・ワークの可能性
以上に述べてきたような問題意識において、私が今、とても注目しているムーブメントのひとつにプロセス・ワークがある。
プロセス・ワークの創始者であるアーノルド・ミンデルはユング派の心理分析家として出発した。
が、夢と身体症状のつながりに注目したドリームボディ・ワークや、自発的なプロセスそのものに信頼をおいた独自のセラピーによって、ユング派の枠内に収まりきらない活動を展開していく。
さらに世界中の多様な人々との出会いを通じてミンデルは、性差別、人種的対立、民族的対立、宗教的対立などの問題に果敢に取り組んでいく。
こうして社会的文化的に多様な人々の葛藤に取り組むグループワークとしてのワールド・ワークが誕生することとなる。
この過程でミンデルは、数多くの精神的な伝統からそのエッセンスを汲み上げる。アフリカ・オーストラリア・北米・中南米のシャーマニズムからは変性意識を誘発する技法や、コミュニティにおけるグループプロセスの方法を学ぶ。
仏教、特にティク・ナット・ハンや禅の伝統との出会いの中では、行住坐臥起こっていることすべてに関わる自覚=持続する覚醒=観照性を深める。
スワミ・ムクタナンダのクンダリニー・ヨーガに受けた影響も大きい。また老子の『道徳経』からは、プロセスを信頼する「無為」の「姿勢なき姿勢」を教えられる。
プロセス・ワークは、こうしてますます繊細なワークとして発展中である。
その過程は、まさしく私が本書で述べてきたような螺旋を描いている。
非二元的な超越性の次元への深まりと、社会的生態学的な水平性の次元への広がりを縒り合わせながら、無限の発展のプロセスを踊っている。
『うしろ向きに馬に乗る』(アーノルド&エイミー・ミンデル)から、ミンデルの言葉をいくつか引用してみよう。
・・・「プロセス理論は、個人のプロセスに内側も外側もなく、どのようにプロセスが変化し流れるかという自覚のみがあると考えます。つまり、みなさんの『内側』に起こっていることと同様に、環境でさえもみなさんのプロセスの一部なのです。」
「起こっている出来事、つまり自然あるいはタオの流れは、私たちがその内容と相互に作用し合い、それを増幅し、開示することができて初めて意味があるものになるのです。そうでなければ、それは発見されるのを待つ神秘でしかありません。」
「プロセスへの抵抗もプロセスなのです。無意識であることや自覚の欠如もまた、自然の一部です。」
「できるのは起こっていることを自覚しようとするか、自覚しようとしないかを選ぶことだけです。」
「慈悲とは柔軟な心を意味します。プロセス・ワークでは、この心は、たくさんの劇的な出来事や変性意識状態を体験することや、私たちみんながもっている巨大で全体的な可能性に気づくことから育まれていくとされています。」
「開かれた心は、何よりもこう言うでしょう。さあ、うしろ向きに馬に乗りなさい。まさかと思われるようなことをサポートしていくのです。他の出来事と同じように、それにも民主的にチャンスを与え、それ自体が自ら展開し、それ自体になっていくプロセスに任せるのです。」
「プロセス・ワークには類型論もなければ、理想とする固有の状態もありません。そのかわり、私たちは『自覚』を大切にしています。『公平な観察者』、すなわち『メタ・コミュニケータ』以外には不変のアイデンティティは存在しない、と考えているのです。」・・・
プロセス・ワークは、自覚的に生きることそのものであり、危機を祝祭に変容するアートである。
「自覚」がすべての核心にある点においては、超越性宗教(特に目覚めの宗教である仏教)の特質を明瞭に示している。
それはまた「二四時間の明晰夢」と呼ばれるような不断の覚醒を志向している。
昏睡状態の人とのワークであるコーマワークの例なども見るにつけ、「自覚」「気づき」の深みと広がりは、究極的には生死を超えた世界に達しているとも思われる。
一方、プロセス・ワークの発展型の一つである「ワールド・ワーク」は、この世界の水平的次元への広がりを有しており、殺戮や略奪のない世界への深い祈りと共にある。
ただし「ワールド・ワーク」は、平和を一元的な価値観による抑圧によって実現しようとするのではない。
逆に、世界の様々な立場にある人の怒りや悲しみをそのまま表出し合うことを通して、この世界そのものの業を浄化し、叡智の座に至ろうとする。
ミンデルらはそれを「ディープ・デモクラシー(深層民主主義)」と呼ぶ。
(これまたディープ・エコロジー)の持っていた性格を発展させたものとも言える。ただし人間以外の生命の声を聞くという面においてはディープ・エコロジーの方がより意識的である。)
デイープ・デモクラシーとは、すべての声を聞き届けることを通して、彼方の彼方へ超越していくことでもある。
それは深いスピリチュアリティに裏打ちされたものでもある。
つまり、そこには多元性の受容を通しての超越、あるいはスピリチュアリティに裏打ちされての多元性の受容が見られる。
超越性と多元性の非二元的な融通無碍こそが、魂の螺旋ダンスの帰するところであり、ある意味では初めから今ここにあり、顕現の機会を待っていた「それ」である。
・ ワールド・ワークと悪人正機
ワールド・ワークで重視される「ランク」という概念は、親鸞の「悪人正機」やキリストの「心の貧しき者は幸いである」といったパラドキシカルな思想表現と深いつながりを持っている。
ミンデルは「肌の色」「経済階級」「ジェンダー」「性的嗜好」「教育」「宗教」「年齢」「知識」「職業」「健康」「心理学」「霊性」などにおける力の序列(ランク)は、多くの文化で衝突の原因になっていると論じている。
ランクは関係性の磁場の中で生じているものであって個人が自分の思いだけで振り払うことはできない。
ただランクは自覚することができる。
通常、人は自らの低いランクと相手の高いランクを自覚している。
そのため相手が高いランクを行使して、自分を一方的に抑圧していると感じる。
その片方で、自分のランクの高さを無自覚に行使し、相手を抑圧してしまう。
たとえばある文化の中におけるマジョリティとマイノリティの関係を考えてみよう。
マイノリティは差別・抑圧される側として、自らのランクの低さを意識している。
そのため、支配者としての高いランクを有したマジョリティが、自分たちを一方的に抑圧していると感じている。
そこで「弱者の権利」を「正義」として主張する。
ところがマジョリティの方はと言うと、自らの支配階級としてのランクの高さには無自覚なまま、逆にマイノリティが「弱者の正義」というランクの高さを行使して、マジョリティを一方的に抑圧してくると感じるのである。
「人権という言葉を出されると黙らざるを得ない」といった感覚はその例である。
「強者の支配的ランクの高さ」と「弱者の正義のランクの高さ」の対立構造は、現代社会ではあらゆる社会的序列の中に働く力学となる。
そのため、誰もが「私こそが被害者である」と考える。
繰り返すが、私たちは自らの有しているランクの高さを無自覚なままに行使して、相手を抑圧しがちなのである。
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