アイリーン・スミスの涙 長澤靖浩
アイリーン・スミスという写真家を深く信頼するようになった理由はいくつかある。
そのひとつは、石牟礼道子の著作「花帽子」に出てきたアイリーンが、胎児性水俣病のしのぶちゃんと話すシーンを読んだことだ。
石牟礼さんが「人語の世界から引きはがされた彼女」と描写するように、しのぶちゃんの語りはとても聞き取りにくい。しかし、アイリーンはしのぶちゃんの気持ちに寄り添って忍耐強く聞き取り、しのぶちゃんもそんなアイリーンを信頼して懸命に話す。そしてその共同作業を通してしのぶちゃんの深い内面の苦しみや願いが露わになるのである。
私はそれを読んで、そのような「仕事」のできるアイリーンに大きな敬意を覚えたのだった。
あるとき、私は勤め先の中学校の人権講演会の担当者として、アイリーン・スミスを学校に呼ぼうと思いたった。
当時、その中学はご多分にもれず荒れていた。が、生徒たちの心はそれほど荒んでいるとは私には思えなかった。「アイリーンの語りが生徒たちの胸に届き、真剣に人や社会と向き合うひとつのきっかけになればいいな」と私は考えたのだ。
体育館に全校生徒が集合した。騒がしい生徒を、司会の私が一通り静めたあと、アイリーンが壇上に上がり、講演を始めた。
アイリーンの語り口はとても柔らかく、音もなく降る雨のようだった。難を言うならば、迫力がなかった。「もしも聞いてくれるなら聞いてほしい、でも聞きたくない人に無理やり聞かせることは本意ではないのだ」というやさしい気持ちが、節々に、特に消え入りそうな語尾に現れていた。
話の中身も、深い願いに満ちてはいるが、刺激やメリハリが少なかった。案の定、生徒たちはやがて騒ぎ始めた。アイリーンの表情に焦りが見えた。が、彼女は最後まで態度を変えることなく、静かに語り続けた。後半は、半分以上の生徒が、もう聞いていなかった。
講演を終えたアイリーンを校長室に案内して、お茶を出した。
「生徒が騒がしくてすみません」と私は謝った。アイリーンは「いいえ、彼らに届くように話せなくてすみません」と逆に恐縮していた。
ドアをノックして、ひとりの生徒が校長室に入ってきた。難聴のため補聴器をつけているA君だった。A君には、講演の概要をプリントで渡してあったが、それでもわからない点があったら、後で質問に来てもいいよ、と私から言ってあったのである。
A君は、聞こえの悪い生活のためか、いつも不機嫌そうな険しい表情をしていた。この日も眉間にしわを寄せながら、アイリーンに向かって「あの、僕は耳が聞こえにくいので質問に来ました」と話した。アイリーンは、A君に目の前に座るように言い、「質問をどうぞ」と促した。
私はA君が何か具体的で細かい質問をすると思っていた。だが、A君は「僕は体育館では殆ど聞き取れなかったのです。何を話していたのですか」と尋ねたのだ。これではあまりに漠然としすぎている。困ったことになったと私は思った。
だが、アイリーンは「私が話したかったことはね・・・」と話し始めた。そして水俣での活動を通して感じたこと、弱いものが踏みつけられる社会について感じていることなど、講演の内容をもう一度ゆっくりと殆ど全部話し続けたのである。これには私も驚いた。
A君は熱心に耳を傾けていた。話を聞き終えると、眉間の皺は殆どなくなっていた。
彼はたどたどしい発音で「ありがとうございました。とてもよくわかりました」と言った。
一瞬の静寂があった。と、突然、アイリーンは、嗚咽をもらした。そして涙ながらにこう言うのだった。
「体育館では、私の力のない話が子どもたちにあまり伝わらなくて、とても申し訳なかった。けれども、不思議なことに、耳の不自由なあなたが一番熱心に私の話を聞いてくれた。ありがとう」
A君はきょとんとしていた。が、私はまたさらに深く感動していた。