魂の螺旋ダンス 改訂増補版(5)
・ 部族シャーマニズムにおける至高存在
それでは、部族社会においては、個別の援助霊を越えた一者としての至高存在は、存在しなかったのか。この点について、若干、考察しておきたい。
アニミズムから多神教へ、そして一神教へという宗教の「発達」の図式は、実はかなり怪しい。
というのも、現存の部族社会には、一なる至高神の信仰が多々あるからである。ここから、狩猟採集社会における人類最初の神の観念も一なる至高神であったという主張も生まれてくる。(A・ラング、P・W・シュミット)。
もっとも最初に述べたように、現在の部族社会の精神文化を、そのまま太古にあてはめるのは、危険である。
どこまでが、太古の姿そのままを継承したものなのか。どこからどこまでが、独自の歴史を刻む中で芽生えてきた観念なのか。
そして、どこからが、欧米文化との接触によって(たとえ微かな接触であれ、その影響がないとは断言できない)変形したものなのか。このことを見極めるのはきわめて難しい。
たとえば、アメリカ先住民には「ワカンタンカ」という言葉がある。
この言葉は、普通「グレイトスピリット」という英語に移され、彼らの精神文化の中核を成すものとして紹介されることも多い。
だが、ここの援助霊とは別にすべての調和の源であるこの言葉を頻繁に用いるようになったのは、あるいはキリスト教との接触の後なのかもしれない。
いや、それ以前から、このような普遍性を持った観念は、彼らの中で独自の発達を遂げていたのかもしれない。
この点について考究するとき、留意しておくべき点のひとつは「ハンサムレイクの宗教改革」と呼ばれるものだろう。
研究によると、イロコイ・インディアンは、入植してきたクェーカー教徒などとの接触の結果、伝統的なシャーマニズムについていくつかの変更を加え、改革した時期がある。
その際、古い伝統の一部は弾圧され、その継承者に対する虐殺さえあったという。
そのため古い伝統が根絶されることを恐れた有志は、その伝承を保持したまま弾圧から逃れることを選択した。
そのような危機を免れた古層のネイティブアメリカンの口承神話は、たとえばポーラ・アンダーウッドなどに継承された。
ポーラ・アンダーウッドは歴史上初めてそれらの口承を文字に起こし、英訳するという形で保存することに踏み切った。
星川淳による邦訳『一万年の旅路』などはその貴重な記録を今に伝えるものである。
そのようなプロセスのどこかの時点で、超越的な唯一神的な観念は、キリスト教の影響のもとに定着し「グレイトスピリット」と名付けられるに至った可能性も無視することはできないだろう。
しかし、いずれにしろ、今でも感受できることは、「ワカンタンカ」は、キリスト教的な「ゴッド」とは、いくつかの点で大きく異なる趣を見せることではなかろうか。
それは人格神的な創造神ではなく、すべての存在に通底する調和的な「働き」といったニュアンスをなお有している。
その姿は無形のもので、ひとりの老賢者のようなイメージでとらえられることは(通常では)ない。
そのスピリットの使いは、鷲であり、やはり動物の精霊を重視する傾向の延長線上に、この観念はあるのである。
またラコタ族の祈りの中でしばしば用いられる「ミタクエオヤシン」という言葉は、「私につながるすべてのもの」という意味である。
アメリカ先住民の祈りは、「私につながるすべてのもの」に向けて祈られるのであって、垂直次元にある至高存在に向けられるものではない。
水平な次元において、すべてのものがつながっており(ミタクエオヤシン)、その上で、そこに偉大なる精霊の働きが通底している(ワカンタンカ)ことへの感謝と祈りが、彼らの精神文化の中核にあると言えるだろう。
一方、アフリカに目を転ずるならば、現在のアフリカの三〇〇に及ぶ部族社会の中で、例外なく至高神の観念が見出されたという報告もある。
たとえばもっとも「未開」な部族の一つとされるピグミーも、至高神ムドンゴを持ち、ムドンゴがすべての世界を創造したとしている。
だが、ピグミーは、森だけはそのムドンゴよりも先に存在していたとする。森がすべてに先立つ「場」であるとする観念は、天空神のような存在が世界を創ったという考え方とは、どこか根本的に異なる世界観である。
このように部族社会における至高存在の観念を追っていくとき、いずれの場合もそこには彼らの地球生態系に対する深い感謝と祈りが脈打っていることに気がつく。
と同時に動物の精霊はやはりきわめて重要な位置を占めており、垂直方向から人格神が支配するといった観念は、やはり見出しがたいのである。
シャーマンの変性意識における脱魂的な旅のパターンの方も確認しておこう。
ジョーン・ハリファクスは、現存する世界中のシャーマニズムの伝統をフィールド・ワークした末に、その異世界の旅にひとつのパターンを見出したとして、整理している。
すなわち「冥界への降下、悪魔的な諸力との直面、手足の切断、火の試練、霊界と動物界との交渉、さまざまな自然力との同化、(*)世界樹もしくは宇宙の鳥を媒介とする上昇、太陽を自分自身であるとする悟り、そして人間がさまざまに活動している中間世界への帰還」である。
(イメージの博物誌「シャーマン」ジョーン・ハリファクス 平凡社)。
だが、ここでもまた、どこまでが旧石器時代からそのまま継承した精神性であるのかが、問題となる。
上記の旅のパターンの前半は、地下または水平次元での霊的交流である。
だが、(*)以降は、垂直方向に上昇し、太陽神と自らを一体視するプロセスが描かれているのがわかるであろう。
ところが、世界樹による垂直軸の構造をもった神話や世界観は、支配的な国家の成立以後に現れるとする説もある。
エリアーデも、太陽神信仰が優勢になるのは、きまって「国家と文明」の成立する地域であるとしている。
一方、先に述べたレ・トロワ・フレールの洞窟壁画には、重なり合い、もつれ合いながら乱舞する動物たちとシャーマンが、描かれているだけだ。
そこにはどのような座標も秩序もなく、ただ踊りくるうエクスタシーだけがある。
・ 私のシャーマニズム体験
ここから先は
魂の螺旋ダンス 改訂増補版 全 読みやすいバージョン
私の代表作のひとつであるこの本の旧版(第三書館刊)は売切れ絶版。Amazonマーケットプレイスでは古本が高値でしか入手できません。そのため…
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。