神秘哲学

2014年の日記

 井筒俊彦著作集1「神秘哲学」を読み始めたときは、なるほど明晰な文体と思ったが、読み続けていると(たいしたことは言ってないわりに)大仰な漢文調にだんだん飽きてきて、腹が立ってきた。
 わたしの内面のつぶやきとしてはたとえば「ここでいちいち対句にするな、一回言えばわかるわ、タコ」とか「ここを古い漢熟語で着飾って悦に入るな」とか、まあ、そんな風につぶやきながら、読んでいたりする。笑。
 しかし、第8章「ディオニュソスの狂乱」に来ると、やっぱりギリシアでもそうかと思える大事なことが書いてあったので、メモっておこう。
 
 p109 ひとたび貴族社会から民衆生活に眼を転じて見れば、我々はディオニュソスが民衆、すなわち農民の宗教生活に、際涯の知れぬ太古から密接にからみついているのを発見するのである。

 p110 このほか無数の歴史的事実は、ディオニュソス宗教がトラキアからギリシアに襲来した異国信仰ではなくて、トラキアにもギリシアにも共通なある先史的基底に所属するものであることを想わせる節が多分にある。

 つまり簡単に言うと、
 ディオニュソスがギリシアに乱入してきた北方トラキアの狂乱の神というのは、ギリシア貴族にはそう感じられたというだけの話である。
 それは人類共通の太古の狂乱のシャーマニズムに由来する。ただトラキアが比較的それを保持し、比較的貴族的になっていたギリシアに伝わってきたから、ギリシア貴族はびっくらこいただけの話である。
 というのである。
 自分で考えたら、初めから地球上、どこでもそうだろうと思っていたけど、井筒のような学者が文献を渉猟してギリシアでもそうなら、やっぱりそうかという自信の持てる話ではないか。
 書いておいてくれて谢谢。

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長澤靖浩
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