魂の螺旋ダンス(41)超越性宗教とシャーマニズムの縒り合わせへ

・ 退行への歯止め

私自身が、この論考を書きつづってきた大きな問題意識のひとつが、精神世界の探求において、ナショナリズムへの退行をいかにして回避できるという点にあった。

そこでここでは、その点を中心にウィルバーを巡る言説の問題点を今一度、整理してみよう。

ケン・ウィルバーは、前個・超個の区別について、鋭い指摘を続けている。

また彼自身の中にしっかりとした合理性を踏まえた上での、超合理性の意識が確立されている。

すなわち、超越性原理の立場からナショナリズムを超えるという立場も非常に明瞭である。詳しく見てみよう。

教育学の分野において非常に重要な人物のひとり、ジャン・ピアジェは個体の意識が「感覚運動段階」「前操作段階」「具体操作段階」「形式操作段階」という順で発達していくという理論をまとめた。

『進化の構造Ⅰ』でウィルバーは、このピアジェの個体の発達理論に、人類の系統的な発達を重ねて論じている。

前操作段階では、「自己が宇宙の中心」であるが、具体操作段階の心の発生に伴って、「ある特定のグループ、文化、民族が優越していると信じる民族・人種中心性」が取って替わるとしている。

さらに形式操作段階に至れば、脱中心性の結実を見、神話構成員段階に埋め込まれた自我がそこから離脱して、世界中心的、非人種的になるのだと言う。

ここまでで道徳的な志向が、前慣習的な志向から、慣習的志向(社会、人種中心的)段階へ、さらに脱習慣的志向(世界中心的、普遍的多元主義)段階へ発達するのを見てきたことになる。

そしてさらにウィルバーは、その形式操作段階を超えて、観察者としての自己に気づく段階を経て、心と身体が統合された自己として経験されるケンタウロスの段階、さらにそれを超えたトランスパーソナルな段階を提唱しているのである。(詳しくは、トランスパーソナルな段階は、心霊(サイキック)段階、微妙(サトル)段階、元因(コーザル段階)、非二元段階と続く。)

ウィルバーの重要な論点は、トランスパーソナルな段階は、呪術、神話段階への退行ではけっしてないということだ。

それは、非視点的に、様々な要素・立場を統合できる合理的な理性を超えて含む、高度な覚醒なのである。

だから、ウィルバーの言うとおりの発達を遂げた者は、間違っても神話構成員的段階へ後戻りするはずはないのである。

つまりウィルバーの理論は、ナショナリズムへの退行について堅固な歯止めを有していると言えるのである。

これを具体的な教育の方法論に当てはめるならば、私の考えはこうである。

幼い子どもにとって、前操作段階では安定した自己愛の形成が必要である。

これは主に家族などからそそがれる愛情によって確立されるだろう。

これは自己肯定感の根となる。

さらに子どもが具体操作段階にある時、彼の属している集団への安定した帰属感は、必要なものである。

この点では、教育の保守運動の主張は、一部正しい。

だが、子どもが思春期を迎え、形式操作段階に至れば、すべてを相対化する意識を涵養する必要がある。

いや、いずれにしろ、彼らは気がつき始める。

日本だけが神の国であるという主張はナンセンスであり、自分の属している集団の価値基準が、唯一絶対のものではないと。

彼らは普遍的多元主義において、互いを尊重することにしか、新しい倫理の根拠を見出すことができないのだろう。

しかし、どのようにすれば互いが幸福になりうるのか。

その問いに応えるのは難しい。

形式操作段階において、個は未知なる大海に船出して、おずおずと無限の探求を開始する。

もはや、けっしてナショナリズムに後戻りすることはできない。

・ 超越性宗教と部族シャーマニズムの縒り合わせ

ウィルバーの仕事は、超合理性への扉を開くと同時に、前合理性への退行への堅固な歯止めをかけようと企図されたものであった。

その意味で、その理路整然とした理論的枠組は非常に評価できる。

だが、難点は国家的段階と共にそれ以前の部族シャーマニズムの段階も完全に否定してしまった点にある。

ウィルバーは、超えて含んだのであって否定ではないというかもしれない。

だが、その段階への敬意をすら「退行」と言うのなら、それは否定であると言わざるをえないのではないか。

ウィルバーは、退行に歯止めをかける理論を整然としたものにし過ぎたのかもしれない。

そのため事実と齟齬を来たす点が、いくつも生じてしまった。

たとえば、トランスパーソナルな次元は、すべてケンタウロス的な心身統合の段階の後に開かれるという説は、進化が直線的な「超えて含む」プロセスだという理論から導かれたものだ。

その意味では、理論はすっきりするのだが、これでは事実と合わない。

少なくともサイキックな現象、たとえば憑依型のシャーマニズムは、脆弱で感情に振り回されるような自我の持ち主にも生じる。

事実、それを無視できなくなったウィルバーは、理論を一部修正し、下位アストラルレベルのサイキック現象は、ケンタウロス段階以前にも生じうるとしたのである。

だが、それは一部の例外現象としての処理の仕方にすぎない。

つまり、広範囲におよぶ部族シャーマニズムが、トランスパーソナルな領域に向かって開かれていたことについては、ウィルバーはまだ誠実に向かい合っていないように思える。

彼はそれほどまでに退行への歯止めを堅固にしたいのだろうか。

だが、物事は螺旋状に踊るという基本的枠組を重視するなら、その課題もクリアしうるのではないだろうか。

私が第一章、第二章で部族シャーマニズムと国家宗教を類別しようとしてきたのは、ナショナリズムへの退行に歯止めをかけるための、ウィルバーとは別の理論的枠組なのである。

ここから先は

761字
完成しました! 「魂の螺旋ダンス」改訂増補版最新推敲版を読みやすい形式ですべて読めます。

私の代表作のひとつであるこの本の旧版(第三書館刊)は売切れ絶版。Amazonマーケットプレイスでは古本が高値でしか入手できません。そのため…

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。