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2022年3月の記事一覧

アミタの観た夢 (Xー4)

アミタの観た夢 (Xー4)

 その年のワンゲル部の夏休みの遠征は、京都府と滋賀県にまたぐ比良山の武奈ヶ岳アタックに決まった。標高一二一四メートルの武奈ヶ岳の登頂は、近畿では中学校のワンゲル部にもよく選ばれるコースであり、けっして困難なものではなかった。
 ただ中学校のワンゲル部では滋賀県側から途中までロープウエイ、リフトを使って中腹に到り、そこから歩き始める方法を選ぶ場合があった。曲りなりにも高校のワンゲル部ではそんな軟なル

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アミタの観た夢 (Xー3)

アミタの観た夢 (Xー3)

 心の中の陰鬱な雲間に陽が射した。
 第一志望の進学校の合格発表のために張り出された模造紙の列の中に、大勢の人たちの頭越しに自分の番号が見えたのだ。念のために手元の受験番号と発表された合格者番号を見比べて何度か首を上下した。間違いない。
 同じ中学から受験した友達が走ってきた。彼女も合格したらしく、手と手を取り合って、無邪気に飛び跳ねた。後で思えば、そのとき、左足の太ももに鈍痛が走った気がした。だ

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アミタの観た夢 (Xー2)

アミタの観た夢 (Xー2)

 命の糸の最後の一本が切れてしまわないうちに、あの「光に抱かれて」という曲に出会ったのは僥倖だったというほかない。
 中学生になっていた奈津子は、定期試験の勉強をするとき、深夜ラジオを聴くのを常としていた。幸い、学校の成績は優秀な方だった。せめて未来のある進路を切り開いて、世間を見返してやりたいという執念が、奈津子を勤勉さに駆り立てていたせいかもしれない。
 その日も奈津子は午前一時頃までラジオを

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アミタの観た夢(X-1)

アミタの観た夢(X-1)

(「アミタの観た夢」は、脳性麻痺の沙織が「健常者」と恋愛するのを夢見て生きる物語ですが、途中でふたりの他の人との出会いを経て、考えに波が生まれます。
その他のふたりの部分はいわば挿入的な小説のような形になります。
その部分をモデルの取材を経たばかりの今、先に形にしようとするのが、Xシリーズ、Yシリーズです。
最後には全部ひとつの小説に紡ぎます。)

 奈津子が五歳のとき、両親が離婚した。まだ二六歳

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アミタの観た夢 (7)

アミタの観た夢 (7)

 谷口から「新任の英語の先生と恋に落ちたから別れたい」と告げられたとき、沙織は世界が白黒になってしまったように感じた。
これならまだ何も知る前、何も期待していなかった時の自分の方が心が穏やかで満ち足りていた気がする。

 そう告げておきながら、谷口は「最後にもう一度」と言って沙織の体を抱いた。
 沙織の体は谷口によって目覚め、谷口によって開発され、谷口の愛撫に応えるように完成されていた。
 それと

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アミタの観た夢 (5)

アミタの観た夢 (5)

 制服のカッターシャツのボタンを、ひとつまたひとつ外していくごわごわした男の手。右手の人差し指と中指の間には煙草の脂が溜まって黒ずんでいる。
 胸襟を開いた先に現れた沙織の十六歳の肌は、同じ歳頃の乙女たち同様、艶々と輝いていた。
 白い陶磁器のような輝きに置かれた男のくたびれた手の甲は不調和であるがゆえに、ざらついた違和感をもたらしている。
 男はごくんと唾を呑み込んだ。

 準備が整わないままこ

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アミタの観た夢(6)

アミタの観た夢(6)

 男と女の秘め事のすべてを沙織は谷口に学んだ。

  想像もしていなかったその行為の間、沙織の脳裏には飛び回る蜜蜂の姿とその羽音が聞こえていた。
 性について聞きかじったことのある、いくつもの噂話の複雑なジグソーパズルが奇跡のような速さで次々に嵌まり、一幅の風景が目の前に広がった。
  沙織は波打ち際の飛沫の上を抜けて、耀く大洋のうねりをかすめて翔ぶ鳥だった。(この段落、書き直すか、いっそ書かない

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「哲学の蠅」を読んでるとき

「哲学の蠅」を読んでるとき

吉村萬壱「哲学の蠅」を読んでいるとき、7年前のこの書き込みを思い出した。

 皆50をいくつも過ぎた 旧友たちとの鴨鍋パーティは案の定、夜明けまでの文学談義、人生談義、恋愛談義、その他秘密会議に及んだ。
 最初のうち、それは何十年も繰り返してきた互いの視点の違いの提示、確かに相互理解は少しずつ深まっているものの、明らかに異なる部分の照らし合わせに見えていた。何にこだわり、何をもっと見つめたいと感じ

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