祖母とアメリカの友達との文通(大正14年)
曽祖父保次郎だけでなく、祖母も帰国後にアメリカの友達と手紙をやり取りしていたようです。1通だけ、大正14年(1925年)6月8日の日付で、友達3人から連名で送られてきた手紙が残っていました。
この手紙は英文タイプライターで書かれているので、下記のエントリーで紹介した方法と同じようにテキストデータ化して読むことができました。
Having received your great and most welcome letter thus without delay promptly I answer immediately to allow's your reekonings
とのことなので、祖母が日本に着いてから手紙を出し、それに対する返信だったのでしょう。3人とも日本風の名前ではないので、日系人コミュニティとかではなく小学校のお友達だったのではないかと思います。
「あなた(祖母)が母国に帰ったことは私たちにとってアンハッピーだけど、そのこと(帰国)がいつかあなたに幸せな人生をもたらすだろうと考えました。現在、私たちは全員順調に進んでいます。私たちの今学期の成績については、まだ時期が来ていないので正確に伝えることができなくて残念です。でも次回の手紙で話せるでしょう。あなたが去ってから、私はいつも、あなたからきた手紙を見るためにミドルリバーへ行きます」というようなことが書かれていました。
ミドルリバー(Middle River)というのは、祖母たちが住んでいたOrwoodの近くにある川の名前で、現在も地図上に載っています。彼女たちはよくこの河原で遊んでいたのではないか。そんな場面が想像できます。
あと、この手紙を代表で書いているのが「私」という一人称の人物で、祖母が出した手紙はその「私」が持っていたのだろうと思います。もしかすると、祖母と一番仲が良かった友達なのかもしれません。
下の写真は、帰国直前くらいの時期に撮られた、11歳の祖母です。
それにしても11歳くらいでこんな大人っぽい賢そうな会話をするのか、と感心してしまいました。私の雑な翻訳なので合っているのか分かりませんが、たぶん学校での生活とか成績など近況を知らせていたのだと思います。
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