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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㉔ 『与える男』

 我々はいま、バーにいる。 

 どんなバーか。テディ・ウィルソンやアート・テイタムといったピアノ・トリオのジャズが静かに流れていて、喧しい酔客はおらず、遊び馴れた分別のある大人たちが、今日一日の最後の一杯をきこしめしにやって来る。そんなバーを想像してくれたらいい。 

 カウンター席に座っている一組の男女の会話に耳を傾けてみよう。 

 女性が用いる言葉はおもに謙譲語や丁寧語で、そこから二人の関係性は、親密ではあるが、互いの年齢や社会的立場をまたぎ越えたものではないことが読み取れる。 

 男の表情や態度からは、ある種の緊張が感じられ、女の眼差しや物腰からは、なんらかの不安の実在を感じさせる。しかしそれは、隣にいる男によってもたらされているわけではない。むしろ彼女は、彼との会話によって慰撫されていると言ってもいい。不安の種は、このバーの外にある。 

 二人は締めくくりの一杯として、ギムレットを注文する。男がトイレに立つ。 

 バーテンダーは、精巧なからくり人形のような手つきで、一切の無駄なく酒を作り始める。 

 女は皿の上からピスタチオを一つ摘みあげる。そのピスタチオは殻の裂け目が異様に小さく、開けることが容易ではない。この場合、選択肢は二つある。 

 諦めて違うピスタチオを取る。 

 力ずくでこじ開ける。 

 女が選ぶのは後者である。 

 綺麗に彩られた爪を、その小さな隙間にさし込んで、彼女はなんとしても殻を割ろうとする。 

 それが彼女という人間の生まれ持った性癖、と考えるより、胸につっかえている悩みや不安が彼女にそれを強いている、と考えてみれば、その振る舞いは、ごく自然なものに見える。 

 爪が割れたってかまわない。とさえ彼女は思っている。 

 シェーカーを振りながら、横目でその様子を窺っていたバーテンダーは少しも表情を変えず「依怙地な女だな」と思う。 

 男は中々トイレから戻ってこない。トイレの様子を見に行ってみよう。 

 洗面台で顔を洗った男は、鏡に映った自分自身を見つめている。そして彼はこの数日、何度も頭の中で反復してきた言葉を、実際に声に出して鏡の中の自分に語りかける。 


 これから君に話すことは、突飛な内容ではあるけれど、ふざけているわけじゃない。君を笑わせようとしているわけでもない。君の気分を害することが目的でもない。僕は真面目にこの話をするんだ。だから内容が気に食わなくても最後まで聞いてほしい。 

 今日は付き合ってくれてありがとう。とても楽しかった。君のような若くて綺麗な女の子と、こうやって一緒にお酒が飲めるのは、なんと幸せなことだろう。僕は君と、こうやって話がしてみたい、とずっと思っていたんだ。君、最近なにか悩みを抱えているだろ? 顔を見ていればすぐに分かるよ。 

 もしかして僕なら、その悩みを解決してあげられるかもしれないと思っているんだ。僕には昔から「不思議な力」とでも言うのだろうか、そんなものがあるんだ。あ、これは決して宗教や霊感商法の勧誘ではない。「不思議な力」としか言いようのないものなんだ。例えば、以前僕が付き合っていた女性は……、いや、具体的な話を持ち出せば余計嘘くさくなってしまうだけだから止そう。とにかくその力で僕は女性に幸福を与えることができるんだ。急にこんな話をし始めて信じてくれなんて無理があるね、僕が君の立場なら今すぐ背を向けて店を出て行くかもしれない。でも言い出さずにはいられなかったんだ。君が暗い顔してばかりいるのを見るのは僕には耐えられなくて。 

 前置きが長くなってしまったね。つまり僕がなにを言いたいかというと……、単刀直入に言おう、僕に抱かれてくれないか? 

 僕のことを愛してほしい、とまで言うつもりはない。ただ、君が僕と一夜を共にしてくれたなら、そうすれば、きっと君の人生はなにもかも上手くいく。 

 君を抱きたいという下心からこんなでまかせを言っているわけじゃない。それは信じてほしい。僕が持つ「不思議な力」とは、ようするにそういうことなんだ。 

 僕のすべてを懸けて、君を幸せにしたいんだ。


 男は壁に飾ってある、にっこり笑うルイ・アームストロングの写真に微笑み返し、トイレを出て座席に戻り、目の前に置かれたギムレットをくいとあおる。そして隣にいる女に囁き始める。 

 あなたならこの物語にどんな結末をつけるだろう。 

 彼女がどんな反応を示し、なんと答えるか。そもそも男の話は真実なのか。そして二人に、どんな未来が待っているのか。 

 そればかりはわたしにも分からない。神や仏にさえ、分からない。 

 ただ成り行きを黙って見届けることにしよう。



・曲 ユニコーン「与える男」


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は6月16日放送回の朗読原稿です。

ユニコーンの「与える男」の歌詞を物語にしてみました。歌詞という枠組みだとすんなり軽いタッチで表現出来るこういった題材を、真面目なトーンの小説(みたいなもの)にしてみたらどうなるんだろう。と思って書いてみました。

来週は朗読コーナーお休みです!

朗読動画も公開中です。



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