ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㉕ 『純白の恋人たち』
二人は本当に若かった。
右も左も分からず、この世が、人々の善意によってのみ成り立っていると信じて疑わない無垢な若者たちだった。
暗がりの中で、いつまでも愛を囁きあっていた。
「僕たちは永遠に二人で一つだよ」
「絶対にあたしを離さないでね」
その言葉を試すかのように、神は二人に試練を与える。
ある朝、大男が二人の愛の巣のドアを乱暴に押し開け、二人をつかんで外へ連れ出した。太陽の光に晒された二人の肌は、驚くほど白かった。
男は彼を右足にはめ、彼女を左足にはめ、満足気にこう言った。
「やっぱりおろしたての靴下は気持ちいいなあ」
彼と彼女は悲観に暮れた。すぐそこに、自分の愛する者がいるというのに、触れることができない。なんと悲しいことだろう!
靴が履かれ、二人の視界は奪われた。
男は外に出て道を歩き始める。右足と左足が交差するわずかの時間に、彼と彼女は言葉を交わす。
「ああ、あたし恐いわ。これからどうなってしまうの?」
「心配いらないよ。こんなこといつまでも続くわけがない」
「それに、この臭い……、耐えられないわ! だってこの人、昨日お風呂に入っていたでしょ、どうして臭うの?」
「靴のせいかもしれないな」
「ああ、助けて! あなたと離れてずっとここにいなくちゃならないのなら、あたし、死んだほうがマシよ!」
「滅多なことを言うもんじゃない。今日一日我慢すれば、またずっと一緒にいられるさ」
「本当?」
「本当だとも」
「じゃあ、あたし、なんとか乗り越えてみせるわ」
「その調子だ」
「帰ったらいっぱいギュッてしてね」
「ああ、君が嫌がるほどね」
男は電車に乗り、勤務先の会社に到着した。
座っている時、男は足を開く癖があり、二人の距離は離れていたが、足を組んだ時、二人は触れ合えるほど近づいた。
「あたしどんどん汚されていく……、この臭いも身体中に染み込んでしまったみたいだわ。それでもあたしのこと愛してくれる?」
「あたりまえだろ。なんであろうと君への愛を奪うことはできないさ」
夕刻、仕事を終えた男は同僚たちと居酒屋へ繰り出した。小上がりの席であったため、半日ぶりに靴から開放された二人は、新鮮な空気を思いきり吸い込んだ。しかしその安息も、ほんの束の間であった。
杯を重ねるうちに手元がおぼつかなくなった男は、ウーロンハイだとか、焼き鳥のタレだとか、貝の汁だとかを、二人の上にこぼした。
「もうお嫁に行かれない」、彼女はしくしく泣いていた。彼の励ましや愛の言葉も、もう届いていないかのように。
居酒屋を出た一向は、カラオケボックスに行った。大音量の歌に高揚した男は、靴を脱ぎ、椅子の上で飛び跳ねたりして、そのまま靴も履かず便所へ行くなどした。
その頃になると彼女は気を失っていた。
帰り道は雨が降っていた。
傘の用意がなかった男はびしょ濡れで帰宅した。靴の中はげしゃげしゃだった。
乱雑に脱がれた靴下はくるくるとまるまって洗濯カゴに投げ込まれた。
疲れ果てたふたりは、ようやく二人だけになり、身を寄せあい雨に濡れた身体を温めあい眠った。
気がつくと二人は洗濯機の中にいた。
大量の水が流れ込んできて、大地は凄まじく回転し、二人はまた離れ離れになった。
彼女は手をのばし、彼の名を呼ぶ。
彼もまた手をのばし、彼女の名を叫ぶ。
彼女はバスタオルやパンツにまとわりつかれ、気を失いそうになる。
その瞬間、彼女は見た。
彼が向こうの端で、真っ黒い靴下と、濃密に絡みあっている姿を。
彼女の眼光は、かつてないほど強く、鋭いものとなった。
そしてゆっくり目を閉じ、彼女は自ら舌を噛み切った。
日当りの良いベランダで、男が洗濯物を干している。白い靴下をつまみあげた時、男はそれに気づいた。
「あれ、穴あいてんじゃん。なんだよ、昨日履いただけなのに。あーあ、捨てちまおう」
そうして、一組の純白の靴下は、洗濯のあと乾く間も与えられず、ゴミ箱に放り込まれた。
・曲 ベッツィー&クリス「白い色は恋人の色」
SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は6月30日放送回の朗読原稿です。
僕は同じ色の靴下を何足も持っていますが、いつも洗濯して干す時に、これは元来のペアなのだろうか、と結構気にしちゃいます。
先日夏用に短い靴下を六足買いました。大切に履きたいと思います。
来週も朗読ありますのでよろしければ聞いてみてください。
朗読動画も公開中です。
SKYWAVE FMは下記サイトで聞くことが出来ます。
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