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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜65 『ちくわのおじさん』

 僕が夜間勤務しているコンビニエンス・ストアに毎日深夜一時半にちくわだけを買いに来るおじさんがいる。年の頃は五十代、上下灰色のスウェットに黒いサンダル、夏には上がTシャツになるくらいで格好は変わらない。彼はいつも一人でやって来て入り口で買い物カゴを手にし、店内の商品をぐるりと見て回り、それからようやく目当ての品を見つけたかのようにちくわを一袋カゴに放り込みレジに持ってくる。それを毎日、大切な儀式みたいにくり返す。いや、それは彼にとって本当に大切な儀式なのかもしれない。ただ好きだからという理由で毎日毎日買い続けるものだろうか。

 我々従業員の間では、当然の成り行きとして彼は〝ちくわのおじさん〟と呼ばれている。勤めはじめて一年になる僕が最初に覚えた常連客だった。

「今のおじさん」とアルバイト初日の僕に先輩が言った。「ちくわ一袋だけ買ってっただろ? いっつもこの時間にちくわだけ買いに来るんだ」

「毎日ですか?」

「うん、毎日。大晦日だろうと元旦だろうとちくわだけ買いに来る。俺がここ入った時にはもう常連だったからな」

「そんなに好きなんですかね?」

「う~ん、ペットにあげるエサかもね。ほら、忍者ハットリくんに出てくる犬、なんつったっけ、ええと、あ、しし丸。ちくわが好物なんだよ。しし丸みたいな犬を飼ってるのかも」

「そうなんですかね……」

「それかさ、そのへんで攫ってきた幼女を監禁してんじゃね? ちくわだけ食わして。あの風貌ならありえるよな」

「……」

「ま、いずれにせよ、毎日ちくわだけを買うなんて普通じゃないよ。どこかのネジがゆるんでなきゃできることじゃない」

 どこか人を突き放すような物言いに、僕は自分が傷つけられたような思いだった。

 次の勤務の日、別の先輩が言った。

「今日が二回目? ってことは、もう〝ちくわのおじさん〟は覚えただろ? 思うんだけどさ、ウチのちくわの売り上げって絶対このエリアで一番だよな。いや、日本一かも」

 その先輩は、おじさんがどんな反応をするのか見るために、ちくわの在庫をすべてバックヤードに隠したことがあった。おじさんは店内を一周し、ちくわがないことが分かると、店員に在庫の有無を尋ねることもなく、カゴを戻して帰って行った。彼が少しの動揺も見せなかったので、先輩は「つまんね」と言い、腹を立ててもいた。


 人をなにかの依存に向かわせる最大の原因は「孤独」だと聞いたことがある。彼のちくわ購入が依存であるとして、僕は彼の「孤独」を垣間見た瞬間があった。もちろん僕は彼個人のことなどなにも知らないのだから、彼の「孤独」を垣間見たような気がした瞬間、というべきだろう。

 例のように入り口で買い物カゴを手にし、店内を見回っている時、彼が雑誌売り場、それも成人向けの雑誌を手に取り、表紙の女性を熱心に見入っているところを僕は見た。いつもと同じ格好をしているにも関わらず、その時の彼は妙にみすぼらしく見え、まるで女という生き物が絶滅し、ただ「死」だけが存在する世界に生きている男のように見えた。だからと言ってそれは、彼が幸福な人生から締め出された者である、という理由にはならない。しかし僕は彼の姿から、人が普遍的に抱いている「孤独」のようなものを感じてしまったのだ。言い換えれば僕は、彼に対し憐憫の感情を持ったのだった。勝手に憐れむことと、勝手に笑い物にすること。そこにどんな違いがあるというのだろう。その日、僕は彼が会計を済ませた時に思い切って話しかけた。

「ちくわ、お好きなんですか?」

 驚いて僕を見てから彼は、手にしたちくわに視線を移し、「ああ、これ」と笑った。

 彼の顔面の筋肉が笑顔を作りだすこともあるのだという事実が、僕には不思議に思えた。

「いやあ、これはね、その、なんというか……」と彼が言いかけた時、若い男が店に入って来て、まっすぐレジに来て「76番」と言った。僕が76番の煙草を取り、会計をしている間に、ちくわのおじさんはとぼとぼ店を出て行った。それ以来、ちくわのことを切り出す糸口を探しあぐねてしまった。

 それでも彼は、秘密をわかちあった物同士のように、僕を見ると会釈してくれるようになった。

 とは言え、相変わらず彼の個人的なことについては何一つ知らないままだ。なぜ毎日ちくわを買い続けるのか。なぜそれがちくわでなくてはならないのか。でもそれらはさして重要なことではないのかもしれない。

 同じ店で働いている者の中には、バックヤードに行く度にスマートフォンを操作して中々戻って来ない者がいる。ひっきりなしに外へ煙草を吸いに行く者がいる。夜勤明けに飲む酒をなによりの楽しみにしている者がいる。夜勤明けにパチスロに行くのを日課にしている者がいる。

 ようするに、みんな「孤独」なのだ。みなそれぞれ各自の〝ちくわ〟を求めているだけではないか。

 あの日〝ちくわのおじさん〟が言おうとしたことの続きを、僕の想像でまとめるとこのようになる。

「ちくわ、お好きなんですか?」と僕は尋ねる。

「いやあ、これはね、その、なんというか……、心の隙間を埋めるためのもの、と言うと大袈裟かもしれないがね、うん、まあ、そういうようなものなんだ。むなしい行ないかもしれないね、だってちくわにもぽっかり穴があいているんだから。不完全なものを不完全なもので補おうなんて。でもこの世に完全なものなんてあるだろうか。そもそもちくわは穴があるからちくわであって、あの穴は欠落ではない。人間だって同じじゃないだろうか。心にぽっかり空いた穴。それを欠落と捉えるか、自分を作る大切な要素と捉えるか、君はどっちだい?」

 

 これはあくまで僕なりの解釈であって、あなたにはあなたの解釈があることを、僕は期待する。



・曲 Junk / Paul McCartney


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は11月28日放送回の朗読原稿です。

先日仕事帰りの深夜1時頃、用もなくコンビニに寄りました。
弁当でもないし、お菓子でもない、なにか食べたいなと店内を回り、ちくわを見つけた途端、無性にちくわが食べたくなり、ちくわ一袋だけ買って帰りました。
ふと僕が店員だったら、深夜にふらっとやって来て「ちくわ」だけを買っていく客をどう思うんだろう、と考えて出来たのがこの話。
話の種とはどこにでもあるものです。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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