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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㉘ 『世界はきっと終わらない』

 最後の日、僕らは裸で抱き合っていた。

 彼女は僕の耳元で囁くように歌を歌った。

「この歌覚えている?」

「もちろん」

 僕はそれを聞きながら、この一年をふり返っていた。

 

 今年の一月、世界各国のいちばん偉い人たちが、それぞれの国民に向けて概ね以下のようなことを語った。

 我々の住むこの地球は、今年の暮れに巨大な惑星の衝突によって壊滅的な被害をこうむることになるだろう。それは恐竜たちを絶滅に追いやった隕石の三倍以上も大きな直径百キロにもおよぶものであり、人類のいかなる技術をもってしても——たとえ地球上の核爆弾をすべて用いたとしても——衝突は回避することは不可能である。研究者の計算によると、この衝突によって全人類の九十八パーセントがこの地球から姿を消すことになってしまうだろう、とのことで、みなさん、すみませんが、今年は最後の一年ですので、悔いのないよう、愛を忘れず、有意義な一年にしてください。


 想像にかたくないと思うが、世界中がパニックになった。あちこちで、やけくそになった人たちが掠奪をしたり暴動をおこしたりした。ここ日本だって例外ではなかった。特に東京は利己的な人間が跳梁跋扈するおそろしく野蛮な場所になった。

 しかし。人というのはいつまでも己の欲望に忠実に生きていけるほど強くはないらしい。春になる頃には、だいたい以前と同じような日常が戻ってきた。

 つまり、人々は毎朝ぎちぎちの満員電車に乗って通勤をしたり、お酒や煙草をやめてジムに通い健康に留意したり、歯の定期検診を受けに行ったり、美容院ではやりの髪型にしたり、合コンしたり、新車を買ったり、ローンを組んだり、国民年金を払ったり確定申告したりした。

 そんな日常が戻ってきた。

 そしてそれは、僕にしても同じことだった。

 僕はある女の子と出会い、恋に落ちた。


 神奈川県の海沿いの街に住んでいた僕は、五月のひと気のない海辺を散歩していた。遠くからほのかに、風にのって音楽が聞こえてきた。音の出所を探し、まわりを見渡した時、僕は、海を眺めながら、オカリナを吹いている彼女の姿を認めた。

 僕は彼女の姿に、なにか心惹かれるものを感じた。声をかけてみようか、だがどうやって? その時、ふと、僕の頭の中に世界の終焉のことが思い出された。人生で一度くらいは見知らぬ、気になった女性に声をかけてみたっていいじゃないか、そう思い僕は彼女のそばまで行った。

 近くで見ると、彼女は一般的には美人に分類されないような、独特な顔立ちをしていて、そのことがますます彼女への興味を引いた。

 やがて音楽が終わり、僕は彼女に拍手を送る。

「美しい曲ですね」と僕は言った。

「なぜ太陽は輝きつづけるの? なぜ波は打ち寄せつづけるの?」

 彼女は深淵なる秘密を探るかのように海を見つめたままつぶやいた。それから空を見上げて言った。

「なぜ鳥たちは歌いつづけるの? なぜ星たちはきらめきつづけるの? みんな知らないのだろうか? この世界が終わってしまったことを。あなたの愛を失ったとき、それは終わってしまったの」

 そこでようやく彼女は僕を見た。

「これがいまの曲の歌詞。スキーター・デイヴィスって人の「エンド・オブ・ザ・ワールド」っていう、大昔のアメリカのポップソングよ」

「もう一度聞かせてくれませんか?」と僕は言った。

 リクエストに応じて彼女は再びオカリナを奏でた。

「率直に言うと、僕はあなたのことを知りたい」曲が終わって僕は彼女にそう言った。

「わたしのこと? たとえばどんな?」

「たとえば……靴のサイズだとか」

 彼女は鼻で笑った。

「たとえば、どんな筋道を経て、今日、この海まで辿り着いたのか、とか」

 これは後になって分かったことだが、彼女もやはり、終末の魔法によって、人生で一度くらいは、声をかけてきた見知らぬ男の相手になるのも悪くない、と思ったらしい。

 このようにして僕らは出会い、やがて親密になり、終焉から逃れるように、懸命に互いを愛し合い、季節を越えた。しかしいつだって、時間というものは必ず僕たちの襟元を引っ捕まえる。終わりが近づくに従って、世界は再び喧しくお祭り騒ぎを始めた。僕らは祭りに加担せず、ただ静かに二人だけで過ごした。


「この歌覚えている?」

「もちろん」

「この歌の主人公はね、恋人が去って行ったから、それは世界の終わりだと言ってるの。でもね、わたしたちは立場が逆。世界が終わるいま、互いを愛し合っている、でしょ?」

「うん」

「だから、世界は終わらないの。わたしたちが愛し続ける限り。この世界は、 きっと終わらない。どう、この考え?」

「気に入った」

 にっこりと笑って彼女はこう言った。

「24・5」

「え?」

「それがわたしの靴のサイズ」

 僕の頭の中にあの日海岸で見かけた彼女の姿が蘇る。それははるか大昔の出来事のように感じられた。もっと早く彼女と出会えていれば、そう思わないことはなかった。けれどもしょうがない、終末の魔法にかけられなければ、決して交じりあうことのない二人だったのだから。

 地響きのような音が徐々に大きくなっていき、窓硝子ががたがたと音を立て始めた。

 僕はまばたきもせず、彼女を見つめた。

 それが僕が最後に見たものだった。

 そして世界は、まっ白になった。



・曲 Skeeter Davis / The End Of The World


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は7月21日放送回の朗読原稿です。

終末をテーマにした話です。「木曜日の恋人」コーナーでは短いお話を書いていますので、色んな作風を試せて楽しいです。

来週も朗読ありますのでよろしければ聞いてみてください。

朗読動画も公開中です。

SKYWAVE FMは下記サイトで聞けます。


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