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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㉗ 『ドラッグストア・カウガール』

 壁一面に据えられた棚には色も大きさも値段も違う商品が並んでおり、それぞれの下に、ラッシュフォーマー、マキシマイザー、アイラッシュカーブナー、ハイカバーコンシーラー、といった男にとっては意味不明瞭な用語が派手に飾り付けらてれいて、世の中には随分と沢山の化粧品があるものだ、と僕は感心していた。用途すら定かでないピンク色の小瓶を一つ摘まみ上げ、何も分かりはしないくせに裏面を眺めて、納得したような顔をして小瓶を元に戻す。内心では「こんな小さな瓶が千六百円もするのか」と驚愕していた。 

「化粧というのは実にお金の掛かるものだね」と僕は隣にいた彼女に言った。 

 彼女は棚の商品を物色しながら「あら、知らなかったの」と答えた。 

 化粧道具丸々一式、自宅に忘れたまま僕の家に泊まりに来てしまった彼女は、今朝起きて化粧ポーチがないことに気が付き、ショックを受けていた。 

「信じられない。化粧道具を忘れるなんて今まで絶対になかったことなのに。女として気が抜けてる」と、彼女は嘆いた。ひとまずの化粧品を揃える為に近所にあるドラッグストアに行くことにしたのだった。   

 僕は彼女に服を貸した。リーバイスのジーンズ、ウォーホルのキャンベルスープのTシャツ。彼女は玄関にあった便所サンダルを履いた。 

 どうせ家にいても特段やることもないので僕も付いて行くことにし、二人でドラッグストアへ赴いた。 

「簡単化粧セットみたいな物があればいいんだけど」道すがら彼女は言った。 

「そういうのがあれば男の人にだってメリットがあると思うけど」 

「どんな?」 

「急なお泊りにも対応出来るから、お持ち帰り率が上がる」 

「ははあ」 

「あーそれにしてもショック」 

 ぺたぺたぺたと彼女が履くサンダルが立てる音が路地に響く。よく晴れた日だった。 

 売り場の棚の前を行ったり来たりして彼女は化粧品を物色した。僕は母鳥を健気に追いかける雛鳥のように彼女の後をついていった。 

「随分と種類があるものだ」 

「大変そうでしょ?」 

「うん」 

「女が女であるのって、本当に大変なの」 

 二往復くらいしてやっとのことで彼女は棚から一つのボトルを手に取った。 

「下地だけテスターでやっちゃおうかな」 

 彼女は恥ずかしそうに辺りを見回して、棚に備え付けられた小型の鏡を覗き込みながら、顔に下地を塗り始めた。 

「こんな大人になるなんて思わなかった。電車でだってお化粧したことないのに」そう言って彼女は一心不乱に下地を塗る。 

「女が女である為には、まずお化粧をしなくちゃならない」と彼女は話を続ける。 

 女は黙ってぼうっとしていても女にはなれない。化粧をしなくてはならない。髪を整えなければならない。ちゃんとした服を着て、それに相応しい振る舞いをしなくてはならない。座るときは足を閉じてなくてはならないし、ハイヒールという実用性のない靴を履きこなさなくてはならない。そうして始めて世間から女と認識される。そういった事を彼女は話した。 

「化粧をしないのはマナー違反なの。すっぴんのまま会社に行ってごらん、どうしたの? 何かあったの? って聞かれるんだからね」 

 一方、男は黙っていようが、何をしでかそうが男であるには変わりない。気楽な事だ。男らしさというのは大体において「豪放さ」に直結するのに対し、女らしさを一言で表すのは難しい。棚に並んだ色とりどりの化粧品のように。そうして改めて見た彼女は、このうねる世間から振り落とされないように立ち向かう勇ましさをたたえているように僕には見えた。それはまるで荒れ狂う雄牛を悠々と乗りこなすカウガールのようだった。 

「ファンデーションまでテスターでやっちゃっていいよね」恥じ入るように彼女は言ってファンデーションを物色し始めた。 

「もう少し時間が掛かるからその辺見てていいよ」 

 僕はドラッグストアに隣接する百円均一の店をぶらぶらと見て回った。そこで化粧品が売られていた。百円の化粧品と一万円の化粧品はやはり違うものなのだろうか。多分そこには明確な違いがあるのだろう。僕はドラッグストアの化粧品売り場に戻った。 

「もうすぐ終わるから」ここまで来たら、どうやらテスターで全て仕上げると決めたようだ。 

「お化粧していると時々、顔に嘘を塗っているような気になるの」 

 彼女は睫毛にマスカラを塗りながら言った。 

「嘘?」 

「はったりよ。なんだっけ、ギャンブルの言葉でそういうのあるでしょ」 

「ブラフ?」 

「そう、ブラフ。簡単に手の内は明かさない」

 今、彼女は眉毛に手を加えている。 

「女って嘘とごまかしで生きているの」 

 僕はふと先ほど百円均一の店で見かけた腕時計を思い出した。百円の時計と百万円の時計には性能にどれほどの差があるのだろうか。いい時計を身につけ、いい背広を着込む、男も女も一歩外へ出たらはったりをかましてブラフを掛けて生きて行く。嘘やごまかしに関しては男にも一家言あるものだ。だが、ブラフを掛ける対象は? 自分の外へ? 内へ? 

 唇に紅を差し、彼女の化粧はこれにて完成した。 

「デパートの試食品で満腹にするようなものだね」と僕が言うと彼女は膨れた。 

 そして僕たちはドラッグストアを出た。 

 店を出た後、なんだか楽しかった。と彼女は上機嫌になっていた。 

 化粧が完成した彼女の横顔には確かに「女らしさ」というものがあると僕は感じた。 

 彼女は拍車が付いたカウボーイブーツの靴底で軽快に地面を打ち鳴らすようにして、便所サンダルの靴音をかつかつかつ、と住宅街の路地に高らかに響かせた。



・曲 東京事変「女の子は誰でも」


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は7月14日放送回の朗読原稿です。

タイトルは映画「ドラッグストア・カウボーイ」から拝借。
お化粧ってなんなのでしょうね。
僕は物語を書くようになってから男と女について考えるようになりました。

来週も朗読ありますのでよろしければ聞いてみてください。

朗読動画も公開中です。


SKYWAVE FMは下記サイトで聞けます。


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